2025年5〜6月のトルコ旅行記です。
世界遺産「イスタンブール歴史地区」を構成する「テオドシウスの城壁(Theodosian Walls)」を訪問しました。5世紀建造の城壁で、1000年以上街を守ってきた歴史を持ちます。現在も大部分が残っており、歴史好きな人は必見の場所です。
この記事では、「テオドシウスの城壁」の見どころや特徴、構造、行き方などを解説していきます。
世界遺産「イスタンブール歴史地区」の全体の解説は以下より。

テオドシウスの城壁の歴史
ローマ帝国・東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都であったコンスタンティノープル(現イスタンブール)では、4世紀のコンスタンティヌス1世の時代から、街を守るために数多くの城壁や防衛施設が築かれました。
中でも有名なテオドシウスの城壁は、5世紀初頭、東ローマ(ビザンツ)皇帝テオドシウス2世の時代に建設された全長7kmの二重(濠を含めると三重)の城壁です。街の防衛の役割はそれまであったコンスタンティヌスの城壁(4世紀コンスタンティヌス1世により建造)に取って代わり、1000年以上敵の侵入からコンスタンティノープルを守り続けました。歴史上最も成功し、影響力を持った城壁と評されています。

https://pressbooks.pub/より
中世以前からフン人、アヴァール人、ブルガール人、ササン朝ペルシア、イスラム勢力など様々な外敵からの侵入を防ぐ難攻不落の防衛設備で、後年登場した火薬兵器や大砲でさえこの城壁を破ることはできませんでした(戦争よりも地震での崩壊の方が多かった)。
1204年に第4回十字軍遠征をきっかけにコンスタンティノープルが征服され、ラテン帝国が成立して以降は城壁管理がおろそかになり、1261年にビザンツ帝国が復帰してからも資材不足などで城壁の修復は不十分な状況でした。
1453年オスマン帝国の7代スルタンである征服王メフメト2世により、コンスタンティノープルは包囲されました。6週間の包囲戦の末ついにテオドシウスの城壁が突破され、コンスタンティノープルは陥落しビザンツ帝国は滅亡しました。城壁の突破は城壁自体の防衛機能が低下していたからということではなく、メフメト2世の奇策によりビザンツ側が混乱し、また指揮官の負傷により防御が不十分になったことが原因でした(城門の鍵の閉め忘れという説もあり)。

コンスタンティノープル陥落に関する記事は以下にて。

コンスタンティノープルはオスマン帝国支配下で新たな首都イスタンブールと改称され、そのまま城壁の管理は続きましたが、19世紀以降に街が城壁外に発展したことにより放棄されました。
城壁の大部分はそのまま残っており、20世紀には修復なども行われ、1985年に「イスタンブール歴史地区」を構成する世界遺産に登録されました。
テオドシウスの城壁の構造
テオドシウスの城壁は内壁(高さ12m/厚さ4.5〜6m)と外壁(高さ8.5〜9m/厚さ2m)の二重の壁、さらに外側に深い濠(幅20m/深さ10m)と胸壁があるため、三重の防御システムとなっています。城壁の地下には、遠方から水を供給するための水道管が通っている場所もありました。現在でも城壁の大部分は残っており綺麗に修復されている箇所もあります。濠は埋め立てられています。


テオドシウスの城壁の地図・行き方・治安
テオドシウスの城壁の城門の地図、行き方、城壁エリアの治安などを解説していきます。
城壁の全体地図
テオドシウスの城壁は元々全長7kmありましたが、現在では5.7km残っています。城門もいくつか残っており、主なものを地図に記載しました。
城壁への行き方
テオドシウスの城壁はイスタンブール旧市街の中心から少し離れた所にあります。以下の地図では、イスタンブールの交通機関の路線図に城壁の位置(破線)と主な城門(①〜⑧)を記載しました。城壁のどの辺りを観光するかで行き方は変わりますが、中心のスルタンアフメト地区からはトラムT1で乗り換えなしでアクセスできます。路線図はメトロ公式サイトからDLできます(PDF/JPG)。

イスタンブールの交通機関に関しては以下にて解説しています。

上記の路線図には記載ないですが、路線バスでも旧市街中心部からテオドシウスの城壁へはアクセスできます。また、テオドシウスの城壁に沿っても路線バスが走ってるので、バスを使って見学したい場所をピックアップしながら観光するのもありですね。正直全て歩いて回るのはかなりきついと思います。特に⑤〜⑧の区間はメトロやトラムが通ってないので交通機関を使う場合は路線バスとなります。バスの路線検索はMoovitアプリを使うと便利です(Google mapでも検索可能)。
Moovitアプリの使い方に関しては以下の記事で解説しています。

自分は旧市街中心部から路線バスでEdirne kapı停留所まで向かい、その近くにあるカーリエ・モスクとミフリマー・スルタン・モスクを観光後、カリシウスの門(②)あたりから城壁沿いを徒歩と路線バスで南下しました。
城壁エリアの治安
テオドシウスの城壁の周辺は治安があまり良くないと言われています(イスタンブールに住んでるトルコ人もそう言ってる)。イスタンブールは全体的に治安が良い印象がありますが、城壁エリアは少し注意が必要です。場所にもよりますが、特に城壁内は人通りも少なく、城壁が隠れ蓑になって犯罪が横行しやすい状況があるようです。
なので城壁を観光する際は、明るいうちに行くこと、できれば複数人で行くこと、なるべく城壁外(人通りが多い)を歩くこと、を意識した方が良いかなと思います。
主な見どころ(城門)
テオドシウスの城壁の主な観光の見どころ(城門)を紹介していきます。
①ケルコポルタ(Kerkoporta Kapı)
実際に訪問してはないですが、オスマン軍が最初に侵入したと言われる小門なので紹介します。写真はネットから拝借しました。真実かどうかは分かりませんが、ビザンツ軍はケルコポルタの鍵を閉め忘れて、ここから50人ほどのオスマン兵がコンスタンティノープル市内に侵入し、城壁突破の要因になったと言われています。これはビザンツ帝国の最期を目撃した歴史家ドゥーカスによる話ですが、彼の創作という説もあります。

②カリシウスの門(Edirne kapı)
カリシウスの門は近くにあった修道院の名前に由来しています。トルコ語では「エディルネカプ (Edirne kapı)」と呼ばれます。1453年の包囲戦の際、ビザンツ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世はこの門で指揮を取っていたと言われています。コンスタンティノープルを陥落させたオスマン帝国7代スルタンのメフメト2世が入城した門としても有名です。

門の表側と裏側です。少し崩れてはいますがアーチはしっかり残っています。
碑文にはメフメト2世が入場した門と書かれています。

この辺りの城壁は修復はあまりされておらず、遺構のようになっています。レンガと石を積んでいく建築方法がビザンツって感じがします。

③第五軍門(Sulukule kapı)
第五軍門(聖キリアキの門)です。トルコ語では水の塔の門という意味の「スルクレカプ(Sulukule kapı)」と呼ばれます。この時はランチを取るために城壁内を歩いてて門を見落としてしまったので、写真はネットから拝借しました。1453年の包囲戦では、最終的にこの門が突破されてオスマン側の勝利が決定的になったと言われています。

ちなみに城壁の内側はこんな感じです。結構人通りも少なく、暗い時間は歩きたくないなと思いました。住宅街にもなっており、旧市街の中心部のスルタンアフメト地区とは大分雰囲気が違いますね。城壁エリアは治安があまり良くないと言われているので、用事が無ければなるべく城壁外の人通りが多い道を歩いた方が安心と思います。
④聖ロマノスの門(Topkapı)
城壁の外側を壁沿いに南下していきます。振り返ると向こうにはミフリマー・スルタン・モスクが見えます。あの辺りからスタートしたので大分歩いてきました。

続いては聖ロマノスの門です。近くにあった教会の名前に由来します。トルコ語では大砲の門という意味の「トプカプ(Topkapı)」と呼ばれますが、この名前は1453年の包囲戦の際、この門の向かいにオスマン軍の大砲「バシリカ砲(ウルバン砲)」が設置されたことによります。メインゲートの黄金の門に次ぐ大きさがあり、ビザンツ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世が戦死したのもこの門の辺りと言われています。


門にはライオン?のレリーフが残っています。時代は不明です。

この辺りの城壁もけっこう崩壊していますが、それでも見応えがあります。そもそも5世紀の城壁が今でも残っていることが物凄いことだと思います。
⑤レギオンの門(Mevlana kapı)
レギオンの門です。トルコ語では「メヴラーナカプ(Mevlana kapı)」と呼ばれます。徒歩に疲れてバス移動したので、バス内から撮影した写真1枚のみです。5世紀の創建時からあまり変わっておらず、保存状態もかなり良いとのことです。

⑥セリンブリアの門(Silivri kapı)
セリンブリアの門(泉の門)です。トルコ語では「スィリヴリカプ(Silivri kapı)」と呼ばれます。ビザンツ後期に大幅に改築され、アーチはオスマン時代になってからのものです。1261年にビザンツ帝国がラテン帝国からコンスタンティノープルを奪還した際、ビザンツ将軍アレクシオス・ストラテゴポウロスが入場した門と言われています。

内門と裏側から見た門です。狭い通りなのに車通りが激しく徒歩スペースの確保が難しいです。
⑦ベオグラード門(Belgrat kapı)
ベオグラード門は、クセロケルコス門またはキシロケルコス門とも呼ばれます。トルコ語では「ベルグラードカプ(Belgrat kapı)」です。修復もされているため、かなり綺麗な状態です。

ベオグラード門周辺の城壁もかなり整備されてます。1番手前の低い壁は濠にあった胸壁かなと思います。濠自体は埋められています。しっかり外壁と内壁もあり、テオドシウスの城壁の元のイメージが掴みやすいです。

門も結構大きいです。大理石のアーチです。

外壁と内壁の間のテラスも整備されており、城壁に登ることもできます。登れる場所ないかなと思いながらここまで来たので、見つけられてよかったです。
⑧黄金の門(Yaldızlı kapı)
テオドシウスの城壁のメインゲートである黄金の門です。トルコ語では「ヤルドゥズルカプ(Yaldızlı kapı)」と呼ばれます。残念ながら時間の都合で訪問できませんでしたので、ネットから写真を拝借しました。3つのアーチを持つ美しい門です。戦争に勝利したときに行われる凱旋式や、皇帝の戴冠式の際に利用されました。また、防衛上も重要な拠点でした。

コンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世は、1458年に7つの塔を持つ「イェディクレ要塞」を黄金の門に建造しました。要塞としての機能を失ってからは宝物庫、公文書館、国営刑務所として使用され、最終的に1895年に博物館となりました。

Wikipediaより
まとめ
テオドシウスの城壁の観光の見どころや特徴のまとめです。
- 5世紀創建の大城壁で、今も大部分が残っている
- 1000年以上街を守り続けてきた歴史上類を見ない鉄壁
- ベオグラード門・黄金の門あたりは修復されており、城壁の全体像が分かりやすく、一部登ることもできる
- 治安があまり良くないので、夜間の観光は避け、さらになるべく城壁外を歩いた方が良い











