2025年5〜6月のトルコ旅行記です(料金は2026年4月調べのものを記載してます)。
世界遺産「イスタンブール歴史地区」を構成する「ヒッポドローム」を観光しました。現在はスルタンアフメト広場の一部となっていますが、ローマ帝国・ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル(イスタンブールの前身)時代では、大規模な競馬場として親しまれてました。当時の遺構も一部残っています。
この記事では世界遺産ヒッポドロームの歴史、観光の見どころなどを解説していきます。
世界遺産「イスタンブール歴史地区」の全体の解説は以下より。

ヒッポドロームの歴史
世界遺産ヒッポドロームは、コンスタンティノープル競馬場とも呼ばれます。ローマ帝国時代に建造された競馬場です。競馬は古代ローマ世界では民衆の人気娯楽の1つでした。
ヒッポドロームはギリシャ語です。ヒッポは「馬」、ドロームは「道」という意味です。トルコ語では「アト・メイダヌ」(馬の広場)と呼ばれています。
ヒッポドロームの歴史を簡単に解説していきます。
203年:ローマ皇帝セプティミス・セウェルスによりギリシア植民都市「ビザンティオン」(コンスタンティノープルの前身)が破壊され、街の再建時に合わせてヒッポドロームが建設されました。
324年:ローマ皇帝コンスタンティヌス1世により、ビザンティオンは首都コンスタンティノープルに改められ、ヒッポドロームは大改修されました。10万人が収容可能な大規模の競馬場となりました。

395年〜:ローマ帝国の東西分裂以降、コンスタンティノープルは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都となり、引き続きヒッポドロームは娯楽施設として親しまれました。
1204年:第4回十字軍遠征により、コンスタンティノープルは一時的に「ラテン帝国」の支配下となりました。ヒッポドロームに置かれていた4頭の金メッキの馬の彫像がヴェネツィアへ運ばれ、競馬場は廃れていきました(現在サンマルコ大聖堂のファサードにレプリカが飾られている)。

1453年〜:オスマン帝国の支配下ではヒッポドロームは完全に放置され、広場として整備されていきました。
1985年:「イスタンブール歴史地区」を構成する世界遺産として登録されました。
現在ではスルタンアフメト広場の一部となっており、毎日のように地元の人々や観光客が足を運んでいます。
ヒッポドロームの場所・全体図
ヒッポドロームは、スルタンアフメト・モスクの目の前の通りで、イスタンブール旧市街のスルタンアフメト公園の一画となります。トラムT5のスルタンアフメト駅から徒歩5分程度の場所です。イスタンブール旧市街の中でも、スルタンアフメト・モスクやアヤソフィア、地下宮殿などの世界遺産が集まってる観光エリアなので、ほとんどの旅行者が訪問するかと思います。
以下はビザンツ帝国時代のコンスタンティノープル(イスタンブールの前身)の想像図です。U字の大きな施設がヒッポドロームです。


レースが行われていたスタジアム部分は、現在では完全に跡形もなく公園内になってます。知らなければ元々競馬場だったなんて全く分かりませんが、当時の状況を想像しながらヒッポドロームを歩くのもよいですね。


当時の平面図はこんな感じです。宮殿から競馬場は繋がってたようですね。皇帝も競馬場に沢山足を運んだのかと思います。ちなみに宮殿のエリアには現在スルタンアフメト・モスクが建っています。

現在の地図でヒッポドロームの主な見どころに番号を付けました。
①テオドシウス1世のオベリスク
②蛇の柱
③コンスタンティノス7世のオベリスク(切石積みのオベリスク)
④ドイツの泉
⑤スフェンドン
ヒッポドロームの主な見どころ
ヒッポドロームは意外と見どころが多いです。競馬場に元々建っていた記念碑はそのまま残っています。あとは当時の客席の遺構も一部残っています。順番に解説していきます。
テオドシウス1世のオベリスク
オベリスクは記念碑のことです。このオベリスクは元々はエジプト新王国の王トトメス3世のオベリスクで、ローマ皇帝テオドシウス1世が390年にエジプトのカルナック神殿からコンスタンティノープル(イスタンブールの前身)まで運んだので、「テオドシウス1世のオベリスク」と呼ばれています。
花崗岩でできており、かなり状態が良いです。紀元前1490年のものと考えると信じられないくらい綺麗です。オベリスクにはトトメス3世を讃えるヒエログリフ(神聖文字)が書かれています。コンスタンティノープルまでの運搬中に損傷したため、元々30mあったものが20m弱になってしまったとか…。そんなこともあり残念ながらヒエログリフは途中で切れちゃってます(泣)。台座まで含めると26mほどあります。

オベリスクの台座は大理石で、これはテオドシウス1世により設置されました。テオドシウス1世が競馬レースの勝者に月桂冠を授ける内容のレリーフが描かれています(手に月桂冠を持ってる)。1番下にはラテン語の碑文もあります。

台座の四面は全てレリーフが彫られています。観戦する皇帝とその臣下という構図かなと思います。



夜のヒッポドロームは怪しさ満点で、またこれも良いです。オベリスクもライトアップされます。

夜でもヒエログリフはしっかり見れます。このオベリスクは本当に良い状態で残ってますね。


蛇の柱
「蛇の柱」は、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、4世紀後半にギリシャのデルフォイのアポロン神殿からコンスタンティノープルまで運んできたものです。蛇の柱もかなり歴史は古く、プラタイアの戦い(紀元前479年)でギリシア連合軍がアケメネス朝ペルシアに勝利したことを記念に造られました。トトメス3世のオベリスクといい、何でも運んできますね(笑)。それだけ当時のローマ帝国の支配力が圧倒的だったんでしょうね。
捻れた青銅製の柱です。かなり下まで埋まっています。今の広場は当時の競馬場の地面よりも大分高いのが分かります。


蛇の柱の頂上部には元々3匹の蛇の頭の彫像があったのですが、現在は折れて無くなってしまってます(17世紀末頃まではあったらしい)。蛇の頭部のうち1つは現在イスタンブール考古学博物館で展示されています。

コンスタンティノス7世のオベリスク(切石積みのオベリスク)
10世紀に建てられた、ビザンツ皇帝「コンスタンティノス7世のオベリスク」です。
元々金メッキの青銅製の板で覆われていましたが、1204年の第4回十字軍遠征の際に略奪され、現在では石造りの部分のみ残っています。32mくらいの高さがあります。

大理石の土台にはうっすら文字が書かれています。説明によればギリシャ文字の碑文とのことです。

柵の中にはネコさん。イスタンブールは本当にたくさん猫がいますね。

ドイツの泉
8角形のドームの「ドイツの泉」です。オスマン帝国と同盟関係にあったドイツの皇帝ヴィルヘルム2世が、イスタンブールを訪問したことを記念に造られました。1900年の建設で、ドイツ政府によるものです。
ネオビザンツ様式と呼ばれています。

ドイツの泉のドーム下天井です。モザイク画で表現されています。上品な雰囲気を感じます。

スフェンドン
スフェンドンは南端にある円形の形状を持つ構造物で、元々観客席があった場所になります。20世紀の発掘調査で発見されました。発掘された座席や柱はイスタンブール考古学博物館に展示されています。

レンガと石が交互に積まれており、非常に頑丈に造られている印象を受けました。ローマの建築技術は本当に凄いです。ローマの特徴であるアーチ構造もありますね。


まとめ
世界遺産「ヒッポドローム」(コンスタンティノープル競馬場)の観光の見どころまとめです。
- かつての大規模な競馬場
- いくつか記念碑があるが、特にテオドシウス1世のオベリスクがかなり状態が良く見応えあり
- 当時の遺構「スフェンドン」もおすすめ
- 夜のライトアップも雰囲気があって良い

