2023年4月のベトナム旅行記です。
フエ滞在2日目はツアーを使って、世界遺産「フエの建造物群」巡りです。「ミンマン帝廟」へ訪れました。
広大な敷地に、見応えある建築が参道に整然と配置された美しい廟でした。
世界遺産フエの建造物群とは?
登録名 | フエの建造物群 |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 1993年 |
フエは、1802〜1945年の間、ベトナム最後の統一王朝である「阮朝(グエン朝)」の首都でした。
フエには、旧市街にある阮朝の王宮をはじめ、皇帝廟、仏寺など阮朝時代(もしくはそのルーツにあたる広南国)の遺産が多数残されており、その中の一部が「フエの建造物群」として1993年に世界遺産に登録されました。
構成資産は全部で14個です。地図を見ると、かなり広範囲に位置してます(ユネスコのサイトより)。
- フエ王宮と旧市街
- ティエンムー寺
- 文廟
- 虎圏とヴォイレ殿
- ズクドゥック帝廟
- 南郊壇
- トゥドゥック帝廟
- ドンカイン帝廟
- ホンチェン殿
- ティエウチ帝廟
- カイディン帝廟
- ミンマン帝廟
- ザーロン帝廟
- ハイタイン砦(地図よりもずっと北東に位置)
阮朝の歴史・歴代皇帝
黎朝時代の有力貴族で、独立政権「広南国」を建国した南部阮氏の生き残りである阮福暎(ザーロン帝)は、フランス人宣教師ピニョーらの支援を受けて、当時の統一政権「西山朝」を打倒し、1802年に阮朝を起こしました。
阮朝はフエを都とし、宗主国である中国王朝「清」の影響を受けた国家作りをしていきましたが、キリスト教の弾圧を契機にフランスに侵攻され、1887年頃には完全にフランスの保護国となりました。保護国ではありましたが、王朝自体は続き、13代のバオダイ帝を最後に1945年に滅亡しました。
以下は阮朝歴代皇帝の簡単なまとめです。
代 | 称号 | 在位 | 内容 | |
1 | 嘉隆帝 | ザーロン帝 | 1802~1819 | 広南国の生き残りの阮福暎。 |
フランスのピニョーとタイの支援で西山朝を倒し、越南国阮朝建国。 | ||||
清にならった国内制度の整備。 | ||||
2 | 明命帝 | ミンマン帝 | 1819~1840 | 「越南」を「大南」と改める。 |
儒教を重んじる。キリスト教弾圧。宣教師処刑。 | ||||
3 | 紹治帝 | ティエウチ帝 | 1840~1847 | キリスト教を禁止。性格が温厚だったため宣教師は弾圧せず。 |
4 | 嗣徳帝 | トゥドゥック帝 | 1847~1883 | 儒教を重んじる。キリスト教廃絶→ナポレオン3世(仏)が反発。 |
フランスのダナン侵攻→コーチシナ戦争(1858-1862)。 | ||||
サイゴン条約(1862):南部の一部がフランス直轄領になる。 | ||||
清仏戦争スタート(1883~)。 | ||||
5 | 育徳帝 | ズクドゥック帝 | 1883 | 強引に廃位させられる。 |
6 | 協和帝 | ヒエップホア帝 | 1883 | 順安の戦い→フランス軍に敗北→第一次フエ条約。廃位となる。 |
7 | 建福帝 | キエンフック帝 | 1883~1884 | 聡明だったが、毒殺される。 |
8 | 咸宜帝 | ハムギ帝 | 1884~1885 | 第二次フエ条約(1884)→ほぼ全土がフランスの保護下となる。 |
清仏戦争終結(1885)→フランス勝利→清はベトナムの宗主権喪失。 | ||||
9 | 同慶帝 | ドンカイン帝 | 1885~1888 | 親仏派。26歳で死去。フランス領インドシナ連邦発足(1887)。 |
10 | 成泰帝 | タインタイ帝 | 1888~1907 | 西洋文化に興味はあるが、反仏→ばれて退位。 |
11 | 維新帝 | ズイタン帝 | 1907~1916 | 反仏→ファンボイチャウの計画に呼応→ばれて退位。 |
父親のタインタイ帝とともにレユニオン島に流刑。後に親仏。 | ||||
12 | 啓定帝 | カイディン帝 | 1916~1925 | 親仏。西洋建築を好む。 |
科挙廃止。チュノムから現代ベトナム語(クオックグー)に改める。 | ||||
13 | 保大帝 | バオダイ帝 | 1925~1945 | フランスからの独立目指す。 |
ハ月革命(1945)→ホーチミンのベトナム民主共和国成立(阮朝滅亡)。 | ||||
ベトナム民主共和国成立の最高顧問となる。 | ||||
地位に危機感を覚え亡命→南ベトナムの元首となる(仏の傀儡政権)。 |
ツアーを利用するのもアリ
フエの世界遺産はかなり広範囲で、自力で移動するより、現地ツアーを使って主要なものを観光するのが効率的です。
自分たちは、フエ初日に王宮とトゥドゥック帝廟、2日目はツアーを使って他の帝廟や寺院に行きました。王宮の観光はかなり時間がかかるので、ツアーで行くと見る時間が少な過ぎて、じっくり見たい人は若干不完全燃焼かもしれません。
今回使ったツアーはベトナムお馴染みのツアー会社「シンツーリスト」です。バス移動費と英語ガイドとランチ付きの1日フルのツアーで30万ドン(1800円くらい)ほどでした。ただし入場料は含みません。
あと、お馴染みの「klook」でもフエの世界遺産のツアーが提供されてます。klookの会員登録の際に以下の紹介コードを入力していただくと、登録後すぐに500円もらえますので、是非活用ください!
紹介コード:LPPU3Y
ミンマン帝廟とは?
ミンマン帝廟は、フエ王宮から南に13キロほど行った小高い丘の上に位置します。自力でも行けますが、今回はツアーを利用して訪れました。
ここで祀られているミンマン帝は、阮朝2代目の皇帝です。初代ザーロン帝の4番目の子供です。在位は1819〜1840年のおよそ20年間でした。ミンマン帝の治世が阮朝の全盛期と言われています。
初代ザーロン帝は、阮朝建国の際にフランスの支援を受けるなどしたためか、西洋文化に寛容でしたが、次のミンマン帝は西洋文化を嫌い、中国の文化や儒教を重んじました(元々阮朝は中国の「清」を宗主国としている)。
さらにミンマン帝は、キリスト教の弾圧や宣教師の処刑をしたため、後のフランスの侵略のきっかけを作ることになりました(4代トゥドゥック帝の時にナポレオン3世により侵攻されました)。
廟の建設は、ミンマン帝の指揮で1840年に始まりましたが、翌年ミンマン帝が病死したため、3代目皇帝のティエウチ帝が3年かけて完成させました。
ミンマン帝は中国の文化を重要視していたため、廟の設計は中国(当時は清)の陵墓を参考にしたとのことです。他の帝廟よりも荘厳な印象を受けました。
料金・営業時間
ミンマン帝廟の入場料は、15万ドン(900円弱、2023年4月時点)です。フエ王宮も行く人はセット購入しましょう。少し安くなります。
セット購入の場合、王宮にプラスして「トゥドゥック帝廟」、「カイディン帝廟」、「ミンマン帝廟」のどれを組み合わせるかで値段が変わってきます。王宮+帝廟2つで42万ドン(2500円弱)、王宮+帝廟3つで53万ドン(3000円強)です。
注意点としては、チケットは2日間有効ですが、各遺産への入場は1回限りです。
ミンマン帝廟の営業時間は、夏季は6:30~17:30、冬季は7:00~17:00とのことです。年中無休です。
ミンマン帝廟の全体図
敷地は結構広く、700mの参道に中国風の立派な建物が配置されています。参道を真っ直ぐ行くだけなので、分かりやすい構成かと思います。門は全部で1~3番ですが、2番からしか入れないかと思います。9番は陵墓ですが、扉が閉ざされているので行くことができません。あとは参道の外側にも建築物多いですが、参道をまっすぐ行くルートからでは行けなさそうです。
3つの入口
ミンマン帝廟には全部で3つ門がありますが、真ん中の立派な門からは入れず、廟に向かって右側の門(2番)から入場しました。
入口までは少し歩きます。
入場すると、役人の像がいくつかありました。象もいます。これらはもはや廟の定番ですね。中国の影響です。
内側から見た真ん中の門です。「大紅門」(1番)と呼ばれています。ミンマン帝の遺体を運んだ時にのみ使用された門で、それ以降閉じられています。
ミンマン帝の功績の碑
ミンマン帝廟は参道をひたすら真っ直ぐ行くだけです。最初に訪れたのは「碑亭」(4番)です。シンプルな外観の建物です。
中にはミンマン帝の功績が刻まれた碑石があります。ミンマン帝は廟の建設中に亡くなっているので、これを書いたのは次の皇帝のティエウチ帝です。風化して大分見えなくなってきてますね。これを見ると、紙の記録って本当に大事だなと思います。
朱色の美しい門
碑亭を出ると、広々とした景色が目に入ります。整然としていますね(5番)。とにかく真っ直ぐ歩くのみです。
次はミンマン帝廟で1番のスポットかもしれない「顕徳門」(6番)です。中国の紫禁城を意識して建造されたとのことです。
朱色の美しい門ですね。フエ王宮の午門と同じく、真ん中は皇帝専用として閉じられています。
近くで見ても美しいです。
位牌のある礼拝堂
「崇恩殿」(7番)という礼拝堂です。ミンマン帝と皇后の位牌がある堂です。
王宮などでも見たことあるような建築様式です。
中は朱色の柱や天井で造られています。鮮やかで美しいです。柱の雲模様が印象的です。
位牌です。
ミンマン帝のベッド
崇恩殿を過ぎて、小さな門から向こうに見えるのは「明楼」(8番)です。
門をくぐると左右に蓮池(21番)がありました。その先には明楼です。こちらも中国の影響を受けた見応えある建築です。
中にはミンマン帝が生前利用していた寝台を見ることができます。貴重です。
ミンマン帝の陵墓
明楼の先は、緑豊かな庭園が広がっています。この先の三日月の蓮池(11番)を渡れば、ミンマン帝の陵墓(9番)があります。
近くまで来ました。中国風な門です。
門は閉ざされており陵墓には入ることはできませんでした。
写真だと分かりにくいですが、陵墓の目の前にある三日月の形をした蓮池です。三日月は皇帝の崩御を表しています。
まとめ
ミンマン帝廟のまとめです。
- フエ市街地から結構離れてるのでツアーで行くのがおすすめ
- 廟内は参道沿いに建物が配置されてるので分かりやすい
- 朱色の顕徳門は見るべし
- 奥に進むと蓮池や庭園があり、緑豊か
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