カンボジア

プノンペン 「トゥール・スレン虐殺博物館」2万人が粛清された場所

トゥールスレンカンボジア

2023年4月のカンボジア旅行記です。

ベトナムのホーチミンから陸路でカンボジアの首都プノンペンへやってきました。

夕方頃プノンペンに到着し、そのままカンボジアの負の歴史を物語る「トゥール・スレン虐殺博物館」を訪れました。

極端な共産主義を掲げるポル・ポト政権(クメール・ルージュ)によって運営されていた、政治犯収容所の1つです。ポーランドのアウシュビッツと並ぶ、非人道的なことが繰り返された場所です。

トゥール・スレン(S21)の歴史

現在博物館となっているトゥール・スレンは、ポル・ポト政権(1975〜79年)により運営されていた政治犯収容所の1つです。当時はS21と呼ばれており、収容所でも最大のものでした。

ポルポト

1975年、アメリカの傀儡であるロン・ノル政権を倒し、プノンペンを制圧したポル・ポト率いるクメール・ルージュは、250万人の市民を農村へと強制労働に駆り出しました。1976年、無人となったプノンペンふの中心に位置する学校が政治犯収容所S21に転用されました。

3年ほどの間に、反クメール・ルージュの疑いが少しでも見られた人々計2万人近くが、トゥール・スレンに収容されました。生還者は僅か8人なので、恐るべきことです。拷問後の処刑・埋葬は、プノンペンの南西15kmのチュンエク村にて行われました。現在は「キリング・フィールド」と呼ばれています(この呼称の施設はカンボジア各地にある)。

極端な原始共産主義を掲げるクメール・ルージュは、農業主体の共同社会を建設し、私有財産の没収、通貨を廃止、学校教育の否定などを強行しました。教師、医者、僧侶、技術者などは反乱分子として刑務所に収容され、処刑の対象となりました。「メガネをかけている」「外国語を話せる」「手が綺麗」「顔立ちが整っている」「話し方が賢そう」
このような信じられない理由で多くの人々が拷問・処刑されました。

さらにクメール・ルージュは、何にも染まっていない子供達に原始共産主義の価値観を植え付け、教育しました。大多数の大人が処刑されたため、子供軍人や子供警察、さらに子供医者までもが登場しました。恐ろしいことにトゥール・スレンで拷問する側にいたのも、クメール・ルージュにより教育された子供達でした。

トゥール・スレンの存在は国内はもちろん国外にも隠されていましたが、1979年カンボジアに侵攻したベトナム軍によって白日の下に晒されました。発見時は、A棟1階の尋問室でクメール・ルージュが撤退間際に殺害した遺体が14人、収容所全体では50人程度ありました。さらに膨大な収容・処刑記録の文書がありました。

現在では博物館として、当時のままの拷問室、拷問器具、写真、拷問の絵など展示されており、カンボジアの負の歴史を垣間見ることができます。2003年には展示物がユネスコの「世界の記憶」に登録されました。世界中が知るべきものと言えます。

トゥール・スレン博物館の全体図

全体図です。博物館以外の場所も書かれていますが、メインで訪れる場所はA〜D棟です。

トゥールスレン

入場料・営業時間

入場料:5ドル(オーディオガイドは別途5ドル)でした。日本語オーディオガイドは秀逸の内容でした。トゥール・スレンに関するかなり詳しい解説を聞けるので、訪れた際はオプションでつけた方がよいですね。

営業時間は、8:00~17:00です。年中無休です。

建物外観

トゥール・スレン虐殺博物館はプノンペンの中心に位置しており、アクセスしやすいです。

入り口です。A棟側から入場です。

トゥールスレン

入場後まず目に入るのは、いくつもある白い石棺です。これはトゥール・スレンが発見された当初、ここですでに遺体となっていた14人(クメール・ルージュが最後に殺害して逃げた)を埋葬した墓地です。

トゥールスレン

敷地の周囲には有刺鉄線が残っています。

トゥールスレン

建物はA〜D棟まであり、元々学校でした。

トゥールスレン
トゥールスレン

近年作られたモニュメントです。周りの石には犠牲者の名前が刻まれていました。

トゥールスレン

A棟とB棟の目の前には学校の用具を利用した拷問器具がありました。上のフックに囚人を逆さ吊りにして、気絶したら下の汚物の入った壺に頭を突っ込まれ、意識が戻ったらまた吊るされるという悲惨な拷問が行われていました。尋問内容もスパイ活動をしていたかどうかという全く事実無根の自白を迫るものでした。

トゥールスレン

A棟の前に展示されている刑務所内の保安規則です。内容はWikipediaから引用しました。背筋が寒くなるような恐ろしい内容です。

トゥールスレン
  1. 質問された事にそのまま答えよ。話をそらしてはならない。
  2. 何かと口実を作って事実を隠蔽してはならない。尋問係を試す事は固く禁じる。
  3. 革命に亀裂をもたらし頓挫させようとするのは愚か者である。そのようになってはならない。
  4. 質問に対し問い返すなどして時間稼ぎをしてはならない。
  5. 自分の不道徳や革命論など語ってはならない。
  6. 電流を受けている間は一切叫ばないこと。
  7. 何もせず、静かに座って命令を待て。何も命令がなければ静かにしていろ。何か命令を受けたら、何も言わずにすぐにやれ。
  8. 自分の本当の素性を隠すためにベトナム系移民を口実に使うな。
  9. これらの規則が守れなければ何度でも何度でも電線による鞭打ちを与える。
  10. これらの規則を破った場合には10回の鞭打ちか5回の電気ショックを与える。

建物内部

訪問時、建物内部は撮影禁止だったため、Wikipediaなどから写真をお借りしました。内部は目を背けたくなるような写真や当時の拷問器具などが沢山ありました。

A棟の1室にある使用されていた鉄製のベッドです。囚人はこのベッドに上で縛りつけられ拷問されました。辺りには血痕が生々しく残っています。

トゥールスレン

B棟は収容された人々の写真が展示されています。子供から大人までたくさんの写真が展示されていました。

トゥールスレン
トゥールスレン

B棟3階の一室です。至る所の床に血糊が残っていました。

トゥールスレン

C棟の独房です。かなり狭いです。

トゥールスレン
トゥールスレン

生存者によって描かれた雑居房の様子です。想像を絶する内容です。

トゥールスレン
トゥールスレン
トゥールスレン

D棟には人骨が多数展示されていました。

トゥールスレン

まとめ

トゥール・スレン虐殺博物館のまとめです。

  • プノンペンに行ったら是非訪れるべき場所
  • 忘れてはいけない負の歴史を知ることができる
  • 日本語のオーディオガイドが秀逸
  • 余裕があればキリング・フィールドも行くべし

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