2025年に世界遺産に登録された「カンボジアの記憶の場所群 : 弾圧の中心地群から平和と反省の各所まで」を解説します。
カンボジア内戦時に歴史的大虐殺が行われた3つの施設が構成資産として登録されています。人類史上決して忘れてはいけない負の遺産です。
2023年4月に、この世界遺産を構成する施設、プノンペンの「トゥールスレン虐殺博物館」を訪問しました。以下の記事で紹介しています。

この記事では「カンボジアの記憶の場所群 : 弾圧の中心地群から平和と反省の各所まで」はどんな世界遺産なのか、カンボジア内戦の歴史や3つの構成資産を踏まえて解説していきます。
世界遺産「カンボジアの記憶の場所群」とは?
カンボジアには内戦時代の爪痕が多く残っており、大虐殺の犠牲者を追悼する施設がいくつもありますが、そのうちの3つの施設が、2025年に「カンボジアの記憶の場所群 : 弾圧の中心地群から平和と反省の各所まで」として新たに世界遺産に登録されました。

以下の理由で世界遺産に登録されました。
- カンボジア大虐殺の犠牲者を追悼する3つの施設が、クメール・ルージュの犯罪を象徴し、人権侵害の悲劇を後世に伝え、平和の重要性を学ぶための場所であることが評価されたこと
| 登録名 | カンボジアの記憶の場所群 : 弾圧の中心地群から平和と反省の各所まで (Cambodian Memorial Sites: From centres of repression to places of peace and reflection) |
| 国 | カンボジア |
| 登録区分 | 文化遺産 |
| 登録基準 | (6) |
| 登録年 | 2025年 |
世界遺産「カンボジアの記憶の場所群 : 弾圧の中心地群から平和と反省の各所まで」を構成する施設は、以下の3つです。
①M-13刑務所跡 Former M-13 prison
②トゥールスレン虐殺博物館 Tuol Sleng Genocide Museum (former S-21 prison)
③チュンエク虐殺センター Choeung Ek Genocidal Center(former execution site of S-21)
カンボジア内戦の悲しい歴史
カンボジア内戦はベトナム戦争と深い関係があります。当時ベトナムでは、北ベトナムのベトナム民主共和国と、南ベトナムのアメリカの傀儡政権ベトナム共和国が対立する関係にありました。
1964年のトンキン湾事件(アメリカの自作自演)を契機に、ベトナム戦争が始まりました。カンボジア王国の元首シハヌークは、カンボジア領内に北ベトナムへの支援ルート(ホーチミン・ルート)や南ベトナム解放戦線の基地を置くことを容認し北ベトナムを助けたため、それを嫌うアメリカはシハヌークを失脚させ、1970年に親米であるロン・ノル将軍にクメール共和国を樹立させました。
失脚したシハヌークは、共産主義者のポル・ポト率いるクメール・ルージュと協力し、アメリカの傀儡政権であるロン・ノル政権と対立しました。カンボジア内戦のはじまりです。
1975年にロン・ノル政権は倒され、シハヌークを国家元首とする民主カンプチアが成立しましたが、1976年にシハヌークは幽閉され、クメール・ルージュのポル・ポトが首相に就任しました。ポル・ポトは中国の毛沢東の思想に強い影響を受けており、貨幣制度の廃止、学校教育や科学技術の軽視、都市住民の農村入植と強制労働といった原始共産主義を掲げ、反乱分子の大量虐殺や飢饉などで100万人以上(資料によって違いあり)の死者を出しました。

中国と関係の深いクメール・ルージュは、ソ連を後ろ盾とするベトナムと対立しました(中ソ対立の構造)。1978年にベトナムはクメール・ルージュ打倒を目指しカンボジアに侵攻し、翌1979年にはベトナムの支援を受けた元クメール・ルージュのヘン・サムリンによるカンボジア人民共和国(後にカンボジア国に改称)が成立しました。ポル・ポトらクメール・ルージュはタイの国境付近のジャングルへ逃れ、ヘン・サムリン政権と武装闘争を続けました。
1982年にポル・ポト派(クメール・ルージュ)、シハヌーク派(王党派)、ソン・サン派(共和派)による反ベトナムの民主カンプチア連合政府が成立し、複雑で悲惨な内戦が泥沼化していきました。

1991年にカンボジア和平協定が成立し、22年に及ぶ内戦がようやく終結しました。多くの犠牲者が出たカンボジア内戦の影響で、現在のカンボジアは65歳以上が殆どいないという歪な人口構成となっています。
3つの構成資産
世界遺産「カンボジアの記憶の場所群 : 弾圧の中心地群から平和と反省の各所まで」を構成する3つの施設を紹介します。2025年現在の入場料金も調べた範囲で記載してあります。
M-13刑務所跡
プノンペンの北西に位置する、コンポンチュナン州のプレイ・クロフ村にある刑務所跡です。M-13刑務所は初期のクメール・ルージュ政権下で最も重要な刑務所の一つでした。多くの罪のないカンボジア人を処罰し、拷問し、殺害するために使用されていました。

トゥールスレン虐殺博物館
プノンペン市内にある博物館です。クメール・ルージュにより運営されていた政治犯収容所の1つです。当時はS21と呼ばれており、収容所の中でも最大のものでした。2万人収容され、何とか生き残れたのはたった8人とのことです。博物館では当時の拷問室や、囚人たちの写真、拷問の様子などを描いた絵画など展示されています。2025年現在、入場料:5ドル、オーディオガイド:5ドル(あった方がより深く知ることができます!)です。最新情報は公式サイトにて。

詳しくはこちらで解説しています(2023年4月に訪問)。

チュンエク虐殺センター
プノンペン中心部から南西15kmのチュンエク村にあるキリング・フィールド(犠牲者の埋葬場)です。トゥール・スレンの埋葬場が満杯になったのと処刑時の叫び声が響くという理由で、1977年に処刑・埋葬場がチュンエク村に移されました。クメール・ルージュ崩壊後に8895体の犠牲者の遺体がこの場所から掘り起こされました。2025年現在、入場料:3ドル、オーディオガイド:3ドルのようです。最新情報は公式サイトにて。



