ウズベキスタン

【世界遺産】12世紀創建ブハラのシンボル「カラーンミナレット」美しいモスクとマドラサ

ポイカロン広場 ウズベキスタン

2023年10月のウズベキスタン旅行記です(料金などは2025年時点のものを分かる範囲で記載してます)。

世界遺産「ブハラ歴史地区」を構成する資産であるポイカロン広場の以下の3つの施設を訪問しました。ブハラ観光の目玉です。

「カラーン・ミナレット」(Kalon Minaret)
「カラーン・モスク」(Kalon Mosque)
「ミル・アラブ・マドラサ」(Mir-i-Arab Madrasa)

これらの世界遺産3施設を紹介していきます。

世界遺産「ブハラ歴史地区」の解説は以下より。

【世界遺産】「ブハラ歴史地区」中世建築が残るイスラム古都解説!観光に役立つ歴史など
1993年にユネスコの世界文化遺産に登録された「ブハラ歴史地区」を訪問しました。どうでもいい話ですがブハラって言いにくいですよね。チェコのプラハみたいな感じでつい「ブラハ」って言ってしまいます。イスラム系の国の地名とか人名って言いにくいもの...

場所・料金

3つの世界遺産が建つポイカロン広場は、ブハラ旧市街の中心部にあります。

ポイカロン広場に入って、真ん中が①カラーン・ミナレット、右側が②カラーン・モスク、左側が③ミル・アラブ・マドラサです。3つの世界遺産が広場内でアンサンブルを形成しています。

ポイカロン広場

ポイカロン広場は誰でも入れる公共の場ですが、カラーン・モスクは入場料金がかかります。2023年10月時点で5000スム(60円くらい)でしたが、2025年時点では調べたところ15000スムのようです。3倍に上がってますが元が安過ぎるので懐には痛くないですね。クレカ決済可能でした。

カラーンミナレットはおそらく非公式ですが、登る場合は別途料金が必要です(詳しくは後ほど)。

ミル・アラブ・マドラサは無料ですが、そもそも現役の学校で内部は非公開なので、入口辺りまでしか入れませんでした。

カラーン・ミナレット

世界遺産カラーンミナレットのカラーンはタジク語で「偉大な」という意味です。カラーン・モスクに付属する46mの巨大ミナレットです。カラーン・ミナレットはブハラで最も高く、今やブハラのシンボル的存在です。

正面からだと逆光だったので、後ろに回って撮影しました。凛々しいですね。

カラーンミナレット

歴史

1127年カラハン朝の君主アルスラン・ハンによりカラーン・モスクの一部として建造されました。1220年のモンゴル軍侵攻でも奇跡的に壊されず、その後修復はされつつも900年近くたった今もなお建ち続けています。

かつてはカラーン・ミナレットは信者に祈りの時間を呼びかけるという本来の役割以外に、明かりが灯され砂漠を渡る隊商の道標になっていたり、戦争の際には見張り台としても使われていたらしいです。

18〜19世紀のブハラ=ハン国時代にはポイカロン広場は死刑場となり、カラーン・ミナレットの最上階から袋に詰めた死刑囚を投げ落としていたため、「死の塔」と恐れられていました。

登るには?

カラーン・ミナレットは、カラーン・モスクの屋上からブリッジで繋がっており、希望があれば登れますが入場料金はかなり高額です。

カラーンミナレット

試しにカラーンミナレットに登りたいけどいくら?とモスクの受付の人に聞いたところ、50ドルと言われ断念しました。値下げ交渉もできたかと思いますが、スタートが50ドルなのは交渉する気が失せます。非公式だと思いますので、その都度料金違いそうですね。

まあ一生に一度だけかもなので、値下げ交渉して登ったらよかったのかなあと少し後悔してます。ブハラで1番高い場所ですしね。でも料金も一番高いです…。

チンギス・ハンの伝説

13世紀のチンギス・ハン率いるモンゴル軍のユーラシア大陸を股にかけた軍事侵攻により、ブハラも他の都市と同じように壊滅しましたが、カラーン・ミナレットだけは壊されずにすみました。

それに関して言い伝えがあります。

”チンギス・ハンがやってきてミナレットを見上げた時に被っていた帽子が落ちた。しゃがんで帽子を拾う際、「この塔は私に頭を下げさせた立派な塔なので壊してはいけない」と言い、部下に塔の破壊をやめさせた。”

本当かどうかは分かりませんが、どちらにせよチンギス・ハンにとって、カラーン・ミナレットは何か特別なものだったのでしょうね。

美しいレンガ模様

カラーン・ミナレットはレンガの積み方で様々な幾何学模様が表現されています。近くで観るとその繊細さがよく分かります。何層にも分かれており、各層ごとに装飾も異なります。見事です。世界遺産になるべくしてなったという感じです。ずっと観てられます。

カラーンミナレット

青の装飾タイルは一部のみで、最上部はムカルナス(蜂の巣のようなイスラム建築の装飾)のオンパレードです。中世のイスラムらしいミナレットだと思いました。

カラーンミナレット

ポイカロン広場は夜はライトアップされ、カラーン・ミナレットの装飾は浮き出るように美しく見えました。昼とは違った様子を楽しめると思います。光が当たり黄金の塔のようにも見えました。訪問した際はカラーン・ミナレットのみのライトアップでしたが、時期によってはカラーンモスクやミル・アラブ・マドラサもライトアップされるのかなと思います。

カラーンミナレット
カラーンミナレット

カラーン・モスク

ポイカロン広場の2つ目の世界遺産カラーン・モスクはカラーンミナレットと同時期にレンガ造りで建造されました(元々は木造でそれ以前からあった)が、13世紀のモンゴル軍により破壊されました。現在のモスクは1514年にブハラ=ハン国時代に再建されたものです。

カラーン・モスクの全体図です。中庭を囲む回廊の屋根に小さいドームがポコポコあるのが印象的です。

カラーンモスク

正面入口です。

カラーンモスク

美しいタイルで装飾された見応えがある門です。タイルがない部分もレンガで綺麗に装飾されてますね。

カラーンモスク

中庭には手前に木が一本、奥に19世紀の六角形の泉亭(手足を清めるための泉)があるのみです。中庭を囲む回廊の4辺にはイーワーン(中庭に向かって開いているアーチ状の大きな空間)があります。イーワーンはササン朝ペルシアの伝統建築方式で、12世紀以降中央アジアや西アジアのイスラム建築の基本設計として定着しました。中庭はとても広く静寂な空間でした。ブハラの観光スポットですが、人も多くなくゆったりした時間が流れているように感じました。

カラーンモスク

こちらは入口部分の回廊です。レンガが剥き出しです。他の回廊は漆喰で綺麗に塗られていました。

カラーンモスク

カラーン・モスクの中庭から見るカラーンミナレットです。どこから見ても美しいです。

カラーンミナレット

レンガ造りの泉亭の向こうが礼拝堂となります。

カラーンモスク

全体が漆喰で覆われてシンプルですが、ミフラーブ(礼拝する所)とその周辺の壁は綺麗なタイルで装飾されていました。

カラーンモスク

ミフラーブです。青いタイルばかり見てきましたが、こちらは黄色も入っており鮮やかです。ムカルナスも大きく、1つ1つの模様も違って凝っています。植物の模様がメインですね。

カラーンモスク

ミフラーブの上は漆喰のムカルナスです。シンプルですが、ムカルナスの形がよく分かって楽しいですね。

カラーンモスク

礼拝堂内部から外を見ると、泉亭の向こう側にミル・アラブ・マドラサが見えます。

カラーンモスク

ミル・アラブ・マドラサ

カラーンモスクと対面して建っているのは、ポイカロン広場の3つ目の世界遺産ミル・アラブ・マドラサです。かつては中央アジア随一の神学校として名高く、多くの著名人を輩出しました。1536年ブハラ=ハン国時代建造ですが、現在もイスラムの学校として機能しているので中には入れません。現役の学校が世界遺産というのも珍しいですね。入口辺りのみ観光できます。

ミル・アラブ・マドラサの全体図です。2つのターコイズブルーのドームが特徴のマドラサです。

ミルアラブマドラサ

ミル・アラブ・マドラサの正面です。ドームが見えますが、残念ながらドーム下へは行けません。

ミルアラブマドラサ

細かなタイル装飾が本当に美しいです。

ミルアラブマドラサ

ミル・アラブ・マドラサの内部の公開部分ではレンガ造りの天井を楽しむことができます。レンガの並びで幾何学的な美しさを表現しています。

ミルアラブマドラサ

こちらは少しタイルが使用されていました。星空をモチーフとしているようです。

ミルアラブマドラサ

ミル・アラブ・マドラサは中庭より向こうへは行くことはできませんが、柵越しに内部の様子を観ることはできます。

ミルアラブマドラサ
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