1990年にユネスコの世界文化遺産に登録された「ヒヴァのイチャン・カラ」へ訪問しました。単に「イチャン・カラ」とも呼ばれます。ウズベキスタンで最初に登録された世界遺産です。
ヒヴァはトルクメニスタンとの国境沿いの街で、ホラズム州に属しており、州都ウルゲンチの南西に位置しています。タシュケントから西へ1000キロほどあります。サマルカンドやブハラとはまた文化圏が違うエリアですが、イチャン・カラはまさに観光地と言った感じで、多くの団体観光客がいました。
この記事では「ヒヴァのイチャン・カラ」とはどんな世界遺産なのか、ヒヴァの歴史や世界遺産を構成する史跡なども踏まえて分かりやすく解説していきます。
世界遺産「ヒヴァのイチャン・カラ」とは?
「イチャン・カラ」は内城という意味で、城壁に囲われた市街地ことを指します。ヒヴァの旧市街がこのイチャン・カラに当たります。中央アジアや西アジアの各イスラム都市で見られた形態ですが、ヒヴァのイチャン・カラは保存状態がとても良く、博物館都市にも指定されています。イチャン・カラに入場すると、何世紀も前の時代へやってきたかのような感覚になります。
ヒヴァは17世紀にウズベク人のイスラム王朝「ヒヴァ=ハン国」の首都となり栄えました。イチャン・カラで観れる建物の多くが、ヒヴァ=ハン国時代に建造・再建されたものです。
また、イチャン・カラの外側にはさらに城壁があり、街は二重の壁で守られています。城壁の外に発展した郊外の区域は「デシャン・カラ(外城)」と呼ばれています(世界遺産エリアは内側の城壁内部のみ)。
ヒヴァのイチャン・カラは、当時の建物の保存状態が良く、イスラム的都市国家を知る上で貴重な資料となっていることなどが理由で世界遺産に登録されました。
登録名 | イチャン・カラ(Itchan Kala) |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3)、(4)、(5) |
登録年 | 1990年 |
以下の図の赤線の内側が世界遺産イチャン・カラとなります。主な構成資産を記載しました。

イチャン・カラは東西南北にそれぞれ城門があり、街を囲んでいる城壁の高さは7〜8mです。街の大きさは東西約450m、南北約650mであるため、徒歩で十分観光できます。
ヒヴァの歴史
ヒヴァは発掘調査の結果、1世紀頃にはすでに街の基礎ができていたことが分かっています。サマルカンドやブハラなど他の都市と同じくオアシス都市であり、古代からカラクム砂漠の出入り口の街として繁栄していました。
712年にアラブ人のイスラム帝国「ウマイヤ朝」により中央アジア一帯は征服され、それ以降ヒヴァは他の都市と同じようにイスラム化しました。ウマイヤ朝滅亡後は「アッバース朝」や「ホラズム・シャー朝」など各イスラム王朝に支配されました。
13世紀のモンゴル軍の侵攻によりヒヴァは陥落、14世紀末には「ティムール朝」が新たな支配者となりました。
16世紀初頭に中央アジアに台頭したウズベク人シャイバニによりティムール朝は滅亡し、新たに「ブハラ=ハン国」が建国されました。その後1512年にブハラ=ハン国の地方政権として独立したのが「ヒヴァ=ハン国」となります(ヒヴァが首都となったのは17世紀前半頃)。さらに18世紀には「コーカンド=ハン国」も成立し、3つのウズベク人国家が対立する3ハン国時代を迎えました。

ヒヴァ=ハン国の首都ヒヴァは、二重の城壁が築かれ、ホラズム随一のイスラム聖都として発展していきました。
1740年にイランのアフシャール朝君主ナーディル・シャーにより、イチャン・カラの多くの建物は破壊されましたが、18〜19世紀にかけて再建されました。
1873年ロシアの南下政策によりヒヴァ=ハン国は保護国化、1920年に政府が赤軍により打倒されヒヴァ=ハン国は滅亡しました。その後、後継国家として「ホラズム人民ソビエト共和国」が建国され、その首都となりました。
しかし1924年に国は解体され、ヒヴァはサマルカンドやブハラと同じように「ウズベク・ソビエト社会主義共和国」に編入され、ソ連を構成する都市の1つとなりました。
ヒヴァの旧市街にはモスクやマドラサ、ミナレットをはじめとする数多くの資産が残されており、1969年には街全体が「博物館都市」に指定されました。1990年には「イチャン・カラ」という名称でウズベキスタン初のユネスコ世界文化遺産に登録されました。
1991年のソ連解体後は、「ウズベキスタン共和国」の都市となり現在に至ります。
共通入場チケットについて
ヒヴァはたくさんの史跡があり、それらに入るためには共通入場チケットが必要です。イチャン・カラ自体に入るのは無料です。あくまで施設内に入るために必要なチケットです。チケットの販売所は、西門を出た所にあります。
西門の前に以下のチケットブースがあるのでここで購入できます。確かクレカも使えたかと思います。もし使えなくても隣にATMがあったので、キャッシングして現金払いもできますね。

共通チケットには入場できる観光施設が記載されています。2025年時点でこれはリニューアルしているみたいです。若干分かりにくいですが、一部有料の施設があります。赤の×で記したところが別途料金が必要で、番号が書いてる施設は共通券で入場できます。多くの歴史建造物が博物館になっています。

共通入場券は2023年10月時点では15万スム(1800円弱)でしたが、2025年時点では20万スムに値上がりしているようです。
また、別途料金が必要な観光施設は以下となります。下記以外は全て共通チケットで入れると考えて問題ないです。
- 城壁に登る(2万スム/2025年時点も据え置き)
- パフラヴァン・マフムド廟(2万5千スム/2025年時点も据え置き)
- セイド・アラウッディーン廟(2万スム/2025年時点も据え置き)
- イスラム・ホジャ・ミナレットに登る(10万スム/2025年時点も据え置き)
- クフナ・アルク内の見張り台に登る(10万スム)←新たに追加
クフナ・アルク内の見張り台は、訪問した時は共通券で登れたのに、最近別途料金かかるようになったみたいです(クフナ・アルク自体は共通券で入れます)。ヒヴァ観光は他の都市よりも料金がかかるかもですね。全部行ったとして合計46万5千スムなので、5500円くらいです。素晴らしい史跡にいくつも行けると考えるとアリな気もしますが、ウズベキスタンの観光料としては高めです。共通券を買わずに別途料金の施設を個別に決めて行くのも良いかもですね。中でもパフラヴァン・マフムド廟はタイル装飾がほんと凄かったのでオススメです。
主な構成資産
世界遺産「イチャン・カラ」を構成する主な資産を紹介していきます。
4つの城門と城壁
世界遺産イチャン・カラは城壁に囲まれ、東西南北に4つの城門があります。
①西門「オタ・ダルヴァザ」(Ota Darvaza)
②南門「タシュ・ダルヴァザ」(Tosh Darvaza)
③東門「パルヴァン・ダルヴァザ」(Polvon Darvaza)
④北門「バグチャ・ダルヴァザ」(Bogcha Darvaza)
18〜19世紀に建造された城門です。西門と北門に関しては20世紀に再建されてます。イチャン・カラは広くないので、城門と城壁を観ながらぐるっと一周観光するのもよいかなと思います。
城壁はレンガや土壁でできており、かなり綺麗に残ってます。城壁に登るには別途2万スム必要です。北門から入ったあたりにチケット売り場があり、北門から登れます(南門からも登れるらしい)。

カルタ・ミノル/ムハンマド・アミーン・ハン・マドラサ
ヒヴァ観光と言えばユニークな見た目の「カルタ・ミノル」が有名です。すぐ隣には今は宿泊施設になってるマドラサがあります。
①「カルタ・ミノル」(Kalta Minor)
②「ムハンマド・アミーン・ハン・マドラサ(Muhammad Aminkhan Madrasah)
カルタ・ミノルは19世紀のミナレットで、未完成に終わっています。完成していたらイスラム世界で最大になっていたとのことです。隣のムハンマド・アミーン・ハン・マドラサはヒヴァ最大のマドラサで、現在は「Orient Star Khiva」という名前のホテルになっています。マドラサの部屋がそのまま宿泊室として使われています。

ジュマ・モスク
ウズベキスタンではあまり見かけないかもですが、多柱式のモスクです。
「ジュマ・モスク」(Juma Mosque)の創建は10世紀で、18世紀に再建されました。212本の柱で支えられており、柱のデザインもそれぞれ違います。内部はシンプルで、とても荘厳な雰囲気があります。ヒヴァに行ったら是非見て欲しい世界遺産です。共通チケットで入れます。

クフナ・アルク
ヒヴァ=ハン国君主の居城です。イチャン・カラの西門から入ってすぐのところに位置しています。
「クフナ・アルク」(Konya Ark)は17世紀に建てられました。後に建造されたタシュ・ハウリ宮殿と区別するために、旧宮殿と呼ばれています。美しいタイル張りの部屋やモスク、ヒヴァの街を見渡せる展望台など見どころが多いです。
共通チケットで入れますが、クフナ・アルク内にある「アクシェイフ・ババの見張り台」に登るには別途料金10万スムが必要です。共通チケットなしの場合、10万スム払えば見張り台のみ登ることも可能です。

タシュ・ハウリ宮殿
ヒヴァ=ハン国君主の宮殿です。
「タシュ・ハウリ宮殿」(Tash Khovli Palace)はクフナ・アルクに代わるものとして19世紀に建造されました。3つの中庭を囲むように260以上の部屋があります。美しいタイル装飾のオンパレードです。
南北2エリアに分かれており、それぞれ入口が異なるので観光の際は見落とさないように注意が必要です。共通チケットで入れます。

パフラヴァン・マフムド廟
ヒヴァ観光で是非おすすめしたい施設です。ヒヴァの守護聖人の廟です。
パフラヴァン・マフムド廟(Pahlavon Mahmud mausoleum)は、13世紀を生きたヒヴァの詩人パフラヴァン・マフムドのために18世紀頃に造られました。その後ヒヴァ=ハン国歴代君主も埋葬され、複合建築群となりました。
廟内は息をのむような美しさがあります。共通チケットでは入れず、別途2万5千スム必要ですが、おすすめしたい施設です。

セイド・アラウッディーン廟
スーフィー(イスラム神秘主義)の聖人が祀られている廟です。
セイド・アラウッディーン廟(Sayid Allauddin Mausoleum)はヒヴァ最古の建物です。セイド・アラウッディーンは預言者ムハンマドの親戚で、13世紀後半のヒヴァで有名なスーフィーの聖人でした。
廟は何度も修復されており、元々の建造の正確な日付は不明ですが、おそらく14世紀後半だと考えられています。共通チケットでは入れず、別途2万スム必要です。

イスラム・ホジャ・ミナレット/マドラサ
ヒヴァで最も高いミナレットです。マドラサも併設しています。
①「イスラム・ホジャ・ミナレット」(Islam Khodja minaret)
②「イスラム・ホジャ・ミナレット・マドラサ」(Islam Khodja Madrasa)
イスラム・ホジャ・ミナレットとマドラサは20世紀初頭に建造された割と新しい施設です。ミナレットは45mあり、ヒヴァで一番高い建築物です。マドラサは現在では博物館となっています。
マドラサは共通チケットで入れますが、ミナレットに登るには別途10万スムが必要です。若干高いですが、ヒヴァで一番高い所から街を見渡すことができます。
