世界遺産「アンコール」巡りです。アンコール・ワットやシェムリアップから北東の地点にある「バンテアイ・スレイ」へ。
赤砂岩で造られた寺院です。アンコールの遺跡の中でも群を抜いて美しいレリーフが揃っています。
世界遺産アンコールとは?
登録名 | アンコール |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1)、(2)、(3)、(4) |
登録年 | 1992年危機遺産として登録→2004年文化遺産として登録 |
世界遺産「アンコール」は、シェムリアップ近郊に位置する、クメール王国アンコール朝時代(802〜1431年)の寺院遺跡群です。アンコール・ワットをはじめとしたヒンドゥー教寺院群で、仏教寺院もあります。レンガや砂岩で造られた芸術的な建築物は大変見応えがあります。
1992年に危機遺産(武力紛争、自然災害などで危機に晒されている遺産)として登録され、2004年に危機遺産を脱し、世界文化遺産として改めて登録されました。
世界遺産アンコールの範囲は、「アンコール遺跡群」「ロリュオス遺跡群」「バンテアイ・スレイ」の3つのエリアからなります。以下の地図はアンコール遺跡のサイトからお借りしました。シェムリアップを拠点に観光することになります。
以下が「アンコール」のエリア別の構成資産です。
アンコール遺跡群
- 【中心部】:アンコール・ワット / アンコール・トム(バイヨン、バプーオン、ピミアナカス、象のテラス、ライ王のテラス、プラサット・スゥル・プラット、南北クリアン、プリア・パリライ、プリア・ピトゥ) / プノン・バケン / バクセイ・チャムクロン / トマノン / チャウ・サイ・テヴォーダ
- 【東部】:プレ・ループ / タ・ケウ / バンテアイ・サムレ / タ・プローム / スラ・スラン / プラサット・バッチュム / バンテアイ・クデイ / 東メボン / プラサット・クラヴァン
- 【北部】:プリア・カン / ニャック・ポアン / タ・ソム / クロル・コー
- 【西部】:西バライ / 西メボン / アック・ヨム
ロリュオス遺跡群
- プリア・コー
- バコン
- ロレイ
バンテアイ・スレイ
- バンテアイ・スレイ
クメール王国(アンコール朝)の歴史
アンコール地方の遺跡群を造ったクメール王国(アンコール朝)の歴史です。
アンコール王朝の前身であるヒンドゥー教国家「真臘」(しんろう)は、南北に分裂し弱体化していましたが、802年にジャヤヴァルマン2世が統一することでアンコール朝が始まりました。首都はハリハラーラヤ(ロリュオス遺跡群)としました。
889年にヤショーヴァルマン1世が、アンコール地域に都城ヤショーダラプラ(後のアンコール・トムを含んだエリア)を建設しました。都の中心としてプノン・バケン寺院が建造されました。
都は一時的にチョック・ガルギャー(コー・ケー)に遷都されるも、すぐにヤショーダラプラに再遷都され、これ以降プレ・ループ、バンテアイ・スレイ、タ・ケウ、ピミアナカス、バプーオンなど各地にたくさんの寺院が造られました。
1113年に王位に就いたスーリヤヴァルマン2世は領土を拡大し、全盛期を迎えます。アンコール・ワットはじめ、トマノンやバンテアイ・サムレなどを建造しました。
1177年にベトナム中部のチャンパーにより首都ヤショーダラプラが陥落し、アンコール地域が占領されるも、1181年に即位したジャヤヴァルマン7世が奪還し、新たに都城アンコール・トムを建設しました。ジャヤヴァルマン7世は大乗仏教の熱心な信者であったため、トム内のバイヨンをはじめ、バンテアイ・クデイ、タ・プローム、プリア・カン、タ・ソムなど、たくさんの仏教寺院を建造しました。
ASEANトラベルより
1431年にタイのアユタヤ朝が侵攻し、アンコール・トムが陥落しました。クメール王国はアンコールを放棄することになり、アンコール朝は終わりを迎えました。これ以降クメール王国は首都を転々とし、タイやベトナムなど外敵の侵入に脅かされる暗黒時代を迎えました。
バンテアイ・スレイとは?
創設年 | 967年 |
創設者 | ラージェンドラヴァルマン2世 ジャヤヴァルマン5世 |
宗教 | ヒンドゥー教シヴァ派/ヴィシュヌ派 |
形態 | 平地式/展開式 |
建築材 | 砂岩 |
バンテアイ・スレイは「女の砦」という意味です。バンテアイが「砦」、スレイが「女性」です。
アンコール・ワットから北東へ30km、シェムリアップからは北東へ40kmの地点に位置しています。他のアンコールの遺跡に比べて少し遠方にあります。自分達はトゥクトゥクで行きましたが、道がかなり凸凹しているのでタクシーが無難かもしれません。
バンテアイ・スレイは、967年にラージェンドラヴァルマン2世(在位944〜968年)が建設を開始し、彼の息子である次の王ジャヤヴァルマン5世(在位969~1000年頃)が完成させたヒンドゥー教寺院です。
周囲が400mの小規模の寺院です。参道の先にラテライトと赤色砂岩の3重の周壁があり、中心部には赤色の砂岩で造られた祠堂群や経蔵があります。アンコール朝の寺院はバンテアイ・スレイ以降、砂岩がメインの建築材となりました。
赤色の砂岩はレリーフを施すのに非常に適した素材であり、最近描かれたのかと思ってしまうほど美しいレリーフをたくさん見ることができます。アンコールの遺跡の中でも群を抜いています。特に祠堂に描かれたデバターは、その美しさから「東洋のモナリザ」と呼ばれています。
フランス人の作家アンドレ・マルローが祠堂のデバターに魅せられ、1923年に国外に持ち出そうとして逮捕された事件がありました。彼はこの事件を元に「王道」という小説を書いたと言われています。「東洋のモナリザ」と呼ばれるデバターの美しさを物語るエピソードですね。
以下ではクメール建築を楽しむためのポイントを紹介しています。ご覧ください。
料金・営業時間
バンテアイ・スレイは「アンコールパス」というチケットで入場できます。
チケット詳細とおすすめ観光ルートを以下の記事で紹介しています。
バンテアイ・スレイの営業時間は7:30〜17:30です。
バンテアイ・スレイの全体図
バンテアイ・スレイは周囲が400mという小さい寺院です。参道の先の3重の周壁内に、赤色の砂岩でできた祠堂や経蔵があります。
■参道■
エントランスは南側ですが、そこから東門まで歩いてから寺院内へ入場となります。東門を潜ると、リンガの参道が続いています。
■中心部■
ラテライトや赤色砂岩でできた3重の周壁内に建物があります。現在中心部は立ち入り禁止となっており、第三周壁の外側から建造物やレリーフを見ることができます。
リンガの並ぶ参道
南側のエントランスから入ります。世界遺産のモニュメントです。
少し歩いて正門である東門へ到着しました。ラテライトと赤色砂岩で造られた立派な門ですね。
破風のレリーフもとても美しいです。カーラの上に3つの頭を持つ象アイラーヴァタ(エーラーワン)が描かれています。その上にインドラ神が乗っています。アイラーヴァタとインドラ神はセットで描かれることが多いです。破風の両端にはナーガが描かれてます。
東門の柱です。カーラとガルーダが交互に描かれています。
参道にはリンガが並んでいます。
参道からすでに見所がたくさんあります。参道から左に逸れた所の開口部分の破風です。建物は無くなっていました。カーラの上にいるのはナンディンに乗るシヴァ神です。一緒に乗っているのはおそらく妻のパールヴァティかと思います。破風の両端はカーラの口から出る神々でしょうか。
続いて参道から右に逸れた所の開口部破風です。こちらも建物は無くなってました。ヴィシュヌの化身であるナラシンハ(ライオンの頭を持つ獣人)が阿修羅を懲らしめている様子です。破風の両端のカーラの口から出ているのはガジャシンハ(象の頭とシンハの身体を持つ聖獣)でしょうか。
ナラシンハはとても怖い顔をしています。下にいるのが阿修羅です。表情が穏やかなので下の方が神かと思ってしまいますね。周りで祈りを捧げてる人々(神々?)のポーズがコミカルです(笑)。
破風のみもありました。こちらは「ラーマーヤナ」の1シーンです。複数の頭を持つ魔王ラーヴァナがシータ姫を誘拐する場面です。
参道の次は第一東塔門です。ラテライトの周壁は残っていますが、門自体はかなり崩壊していました。
美しい第二塔門
第一東塔門を抜けて、ラテライトで造られた道を少し進むと第二東塔門があります。
第二東塔門は美しい門として有名で、カンボジアの50リエル札に描かれています。
破風の先端が渦巻き模様になっているのが独特です。アンコールにある他の遺跡ではあまり見られません。
破風のレリーフも見応えあります。カーラの上にヴィシュヌ神が座っています。それにしてもカーラはホントたくさん出てきますね。
門を潜るとさらにレリーフがありました。これは本当に美しく、最近彫られたかのような印象でした。上部はヴィシュヌ神の妻ラクシュミーが象の聖水で清めている様子で、下部はガルーダに乗ったヴィシュヌ神です。
赤色の砂岩はレリーフに適しているとのことですが、保存状態の良さに感動します。修復している部分はあるとはいえ、1000年くらい前に建てられた寺院なので驚きですよね。
第二東塔門内には2つ穴のリンガ台(ヨニ)がありました。リンガはありませんでした。大きなコンセント差し込み口に見えますね(笑)。プリア・カンには3つ穴のリンガ台がありましたが、これも他では見られないものですね。
中心部へ
ようやく中心部です。こちらは第三東塔門です。ここから中に行けないようになっていますが、第三周壁はほぼ壊れているので、少し遠目に見ることはできます。
第三東塔門の破風です。踊るシヴァ神です。
第三東門塔門の右手にある経蔵です。
破風の1番上は、3つの頭を持つ象アイラーヴァタ(エーラーワン)に乗るインドラ神です。下は人々や動物が集まっている様子ですかね。
第三東塔門の左にある経蔵です。
破風にはカイラス山で瞑想するシヴァ神と、彼に抱きついてる妻のパールヴァティです。下てわシヴァ神の瞑想を邪魔しようとしてる者は、10の頭と20の腕を持つ魔王ラーヴァナです。周りには怯える人々や動物達の様子が描かれています。
東洋のモナリザ
バンテアイ・スレイの中央祠堂には小さな建物(回廊?)が付属されています。中央祠堂の左右(南北)にはそれぞれ祠堂が配置されています。
南側から中心を見た様子です。
こちらは北側から中心を見た様子です。燃えるような赤色の砂岩が美しいですね。
西側から祠堂群を見た様子です。3つの祠堂群は他の建物より高い基壇の上に配置されています。
祠堂群での最大の見どころは、「東洋のモナリザ」と呼ばれる美しいデバターのレリーフです。残念ながら現在は近くで見れなくなってしまっていますが、美しさは十分堪能できます。望遠レンズのカメラがあると良いかもしれませんね。
近くで見るとこんな感じです(写真はネットからお借りしました)。表情がとても柔らかいですね。
第二西塔門(出口)の破風です。「ラーマーヤナ」の1シーンです。猿の兄弟の戦いです。サルの王スクリーヴァに加勢し弓を射るラーマ王子が右側にいます。まぐさのカーラ(上に乗っているのはヴィシュヌ神)のレリーフも彫りが深く美しいです。
まとめ
バンテアイ・スレイのまとめです。
- シェムリアップから北東40kmに位置する
- 道が凸凹してるのでタクシーがよいかも
- 赤色の砂岩で造られており、燃えるような見た目が美しい
- アンコールの遺産の中で群を抜いてレリーフが美しい
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