2023年4月のベトナム旅行記です。
ベトナム滞在最終日です。最後は大都会ホーチミンの散策です。1泊のみでしたので、足早の観光でした。取りあえず行けたところのレポートです。ホーチミンのざっくりした歴史も紹介します。
大都会ホーチミンの歴史
ホーチミンは、「プレイ・ノコール」→「ザディン」→「サイゴン」→「ホーチミン」と都市名が変遷してきた歴史を持ちます。
プレイ・ノコール
ベトナム南部は長い間、カンボジアのクメール王朝の支配下にあり、クメール人がたくさん住んでいました。その頃のホーチミンは、「プレイ・ノコール」(森の街)と呼ばれ、小さな集落でした。
サディン
17世紀にベトナム中部で起こった「広南国」が南進。タイのアユタヤ王国に敗れて弱体化したクメール王朝はこれを防ぐことができず、ベトナム人がどんどん流入しました。1698年に広南国はプレイ・ノコールを制圧して、「サディン」と名付けました。華僑の商業活動も保護され、中国人地区が形成されました。
サイゴン
ベトナム統一国家である阮朝(グエン朝)がフランスの侵攻を受け、1862年のサイゴン条約、翌年と翌々年の2回のフエ条約により、ベトナムほぼ全土がフランスの保護国となりました。1880年から「サイゴン」と呼ばれるようになり、フランス領インドシナ連邦が成立してからは中心都市となり、フランス風の都市建設が行われ、急速に発展していきました。
ホーチミン
第二次世界大戦後、サイゴンは、ベトナム国(フランスの傀儡政権)、ベトナム共和国(アメリカの傀儡政権)といった南ベトナムに成立した国の首都となりました。1965年からはじまったアメリカとのベトナム戦争では、北ベトナム(ベトナム民主共和国)が優勢となり、1975年にサイゴンは陥落し戦争終結となりました。そして、すでに亡くなっていた革命の指導者ホー・チ・ミンの名前を取って、サイゴンは「ホーチミン」と改称されました。
現在ではベトナム最大の人口を持つ大都市となっています。
サイゴン大聖堂
カトリックの教会である「サイゴン大聖堂」へ行きました。フランス統治時代、1863年から1880年にかけて建てられました。
しかし、なんと工事中でした。全く見れず。
横からは少し見れました。アーチの窓が並んでいます。
裏に回ってもそこらじゅう工事中でした。もちろん中には入れず。
以下のような景色を想像していたのですが、残念です。
Wikipediaより引用
中央郵便局
サイゴン大聖堂のすぐ近くにある「中央郵便局」です。
イエローの外観が美しいです。フランス統治時代の19世紀末に建造されました。何やら左側にマリオらしきものがありました。
入口です。
門がとてもおしゃれです。
内部は素晴らしいアーチ状の天井です。天井の鉄骨設計には、パリのエッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェルも関わっています。
奥にはベトナムの英雄ホー・チ・ミンさんの肖像画がありました。
イスラム美術を彷彿とさせる床のデザインも素敵でした。
見応えある内装です。綺麗な曲線を描いてます。当時の地図(電信網)も残っています。
地図の下には以前使用されていた電話ボックスがありました。
カウンターではポストカードや切手を買うことができます。お土産でもよいし、現役の郵便局なので送ることもできます。
ブックストリート
中央郵便局のすぐ隣にある小さな通り「ブックストリート」です。
20店舗以上の個性的な本屋・カフェなどが集まる通りです。文房具やちょっとした雑貨も置いてるので、お土産探しにもよい場所です。
本好きにはたまらない場所だと思います。憩いの空間ですね。
ノートを購入しました。本だけでなく、こういうお洒落な雑貨もたくさんあったので、本に興味が無くても色々と楽しめると思います。
タンディン教会
バスに乗って「タンディン教会」へ。
少し北に位置するので、市バスを利用しました。ホーチミンはバスがたくさん走っています。乗車料金も6000ドン(35円くらい)と格安です。車内でキャッシュ払いです。google mapやBusMapアプリで乗車時間や路線はすぐ分かるので使わない理由はないですね。
ピンク色の可愛らしいカトリック教会です。フランス統治時代の19世紀末に建造されました。
教会の目の前は車通りがかなり激しいので、渡る時は気を付けた方が良いです。
内部も素晴らしいと聞いてましたが、ミサの時間しか入れないらしく、今回は外観のみの観光になりました。
まとめ
ホーチミン街歩きのまとめです。
- 首都ハノイとはまた違う、洗練された大都会という印象
- フランス統治時代の歴史建築物が多い
- 特に中央郵便局は建築物として素晴らしかった
- 市バスが6000ドンと格安なので利用すべし
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