2023年10月のウズベキスタン旅行記です。
世界遺産サマルカンドの観光の目玉「レギスタン広場」を徹底解説します。サマルカンドと言えばここですね。
世界遺産サマルカンドについての解説は以下。

レギスタン広場とは?
レギスタン広場は「砂地」を意味し、サマルカンドの中心に位置する歴史ある広場です。観光客が必ず訪問する人気の施設です。
広場内には3つのマドラサ(イスラムの神学校)がコの字型に建てられています。実際に見てみると、大きいマドラサに圧倒されます。さらにとても調和が取れていて、心地よい場所でした。サマルカンド滞在中に何度も足を運びました。

それぞれのマドラサが建設された時期は違いますが、あたかも同じ時期に建てられたかのように整然とした空間となってます。これは「コシュ」と呼ばれる都市計画で、年代が違う建物を向かい合わせに建てるなどして、当初から存在したような複合体にする技術です。ウズベキスタンのあらゆる施設がこれを取り入れてます。
レギスタン広場を上から見ると以下のようになります。各マドラサの配置が美しいアンサンブルを形成しているのがよく分かります。

レギスタン広場を構成するマドラサは以下です。
①ウルグ・ベク・マドラサ(Ulugh beg Madrassah)
②シェルドル・マドラサ(Sherdor Madrasah)
③ティラカリ・マドラサ(Tilya-Kori Madrasah)
サマルカンドと言えばティムール朝創始者のティムールが有名ですが、14世紀末のティムール時代のレギスタン広場は、まだマドラサもない公共広場(バザールなど開催されていた)でした。
ティムール朝4代目君主のウルグ・ベク時代の15世紀に「ウルグ・ベク・マドラサ」が建てられて、徐々に広場が形成されていきました。
17世紀のブハラ=ハン国時代に、「シェルドル・マドラサ」「ティラカリ・マドラサ」が建てられて、現在見られるようなレギスタン広場となりました。
レギスタン広場の入場料
レギスタン広場へ入るには入場料がかかります。外側から見る分には無料ですが、できれば入場して各マドラサをじっくり見ることをオススメします。
2023年時点10月時点では入場料は50000スム(600円弱)でしたが、2025年現在65000スム(750円ほど)に値上がりしているようです。ウズベキスタンの観光施設の入場料の中では高めの設定ですね。クレカ決済もできました。
また、レギスタン広場に限らず、観光施設の入場口には撮影料の料金も記載されていますが、特に支払わなくてもスマホで撮影は可能でした。おそらく本格的な撮影をする場合(大きな機材を持ち込んでとか)に別途料金がかかるのかなと思われます。
入場口は広場に向かって左側、ウルグ・ベク・マドラサ側にあります。
次に各マドラサを解説していきます。
ウルグ・ベク・マドラサ
レギスタン広場の左側に見える「ウルグ・ベク・マドラサ」は、ティムール朝4代目君主ウルグ・ベクにより1420年に建設されました。その後、中央アジアで最大級の教育機関として著名な学者や詩人を輩出しました。

正面入り口です。若干逆光なので見にくいですが、幾何学模様のタイル装飾が素晴らしいです。

ウルグ・ベク・マドラサの特徴は星空をモチーフとしたデザインです。設立者のウルグ・ベクは君主であると同時に優秀な天文学者でもありました。

入口に近づいてみました。近くで見ると圧巻の装飾です。アーチ部分の装飾は星空がモチーフとなっているようです。アーチ奥の天井部分のムカルナス(イスラム建築の入口でよく見られる蜂の巣のような装飾)の細やかなデザインに目を奪われます。

マドラサの左右にはミナレットがあります。こちらは向かって右側のミナレットです。かなり傾いてるように見えますが、なんとこのミナレットは登れるんです。

公式で入場料が記載されているわけではなく、管理している人?に依頼するみたいです。観光客に「ミナレット登れるよ」と声をかけてるおじさんがおり、自分はその人にお願いしました。レギスタン広場に入場する前に声をかけられたので、その人に入場料も合わせて支払いました。全部で80000スムでした(2023年10月時点)。非公式なので料金は適当な感じ(ぼったくられてる?かもなので値段交渉の余地あり)もしますが、ミナレット登りたかったのでよしとしました。
通路を通ってミナレットに向かいます。

狭い階段をひたすら上っていきます。段差もあるので結構大変でした。

頂上に着きました。人が上半身を出せる程度です。

向かいにあるシェルドル・マドラサです。頂上はかなり不安定な場所なのでちょっと怖いですね。ミナレット自体も傾いてますし…。

ティラカリ・マドラサの向こうには、ビビハニム・モスクが見えました。サマルカンドの街並みもしっかり見えました。

続いてウルグ・ベク・マドラサの中庭です。中庭でも美しいタイル装飾が目に入ってきます。かつての教室はお土産屋やカフェに利用されています。歴史あるマドラサでお茶してゆっくりした時間を過ごすのも素敵です。

また、一部博物館となってました。写真などでウルグ・ベク・マドラサの歴史が解説されています。

天井は天体図。

ウルグ・ベク天文台の復元模型です。天文台はアフラシャブの丘の北東に位置しており、見学できます。

マドラサで使用されていたテキストとのこと。18~19世紀のものです。

1930年のウルグ・ベク・マドラサの写真です。ミナレットが倒れないようにロープで固定しています。今も傾いてますが、この当時の傾き具合はやばいですね。倒れそうです。マドラサ自体もかなり損傷していたんですね。

シェルドル・マドラサ
レギスタン広場の右側に建つ「シェルドル・マドラサ」です。ブハラ=ハン国時代の1636年に建てられました。

ウルグ・ベク・マドラサと対になり、整然としたアンサンブルを作っています。おそらくウルグ・ベク・マドラサを模倣して建造されたのかなと思います。
シェルドル・マドラサで一番印象的なのは、入口上部に描かれた人物とライオン(虎じゃないらしい)の装飾です。ちなみに「シェルドル」は「ライオンのいる」という意味です。

イスラム教は偶像崇拝禁止のため、建築などのデザインは植物模様や幾何学模様、カリグラフィー(アラビア語を使った装飾)が一般的ですが、このマドラサでは人と動物というタブーの絵が描かれています。しかもなんか下手くそ(失礼)で愛着が沸きます。支配者の権力誇示のためにタブーを犯したと言われています。そしてこの絵を描いた人は処刑されてしまったようです。

シェルドル・マドラサの内部の中庭です。ウルグ・ベク・マドラサよりも静かな雰囲気でした。ウルグ・ベク・マドラサと同じく2階建てになっており、教室が並んでいます。1階はお土産屋さんとなっています。

中央アジアや中東あたりのイスラム建築でよく見られる構造ですが、四角形の中庭の各辺に「イーワーン」と呼ばれる中央に向けて開かれた空間(窪み)があります。元々ササン朝ペルシアの宮殿の建築様式で、12世紀頃イスラム世界に定着しました。ウズベキスタンのイスラム建築でかなり頻繁に見かけます。イーワーンで授業も行われていたとのことです。

ティラカリ・マドラサ
レギスタン広場の奥に建つ「ティラカリ・マドラサ」です。シェルドル・マドラサの約30年後の1660年に建造されました。他の2つのマドラサより大きく壮大さを感じます。

入口の左右には2階建ての部屋がずらりと並んでいます。

入口の花をモチーフとしたタイル装飾が本当に綺麗です。

中庭には他のマドラサと同じく、お土産店が多数あります。しつこい声かけもありましたが、華麗にスルーです。

ティラカリ・マドラサの見どころは何と言ってもマドラサに併設されてるモスクです。この青いドームがあるところが礼拝堂となっています。長年に渡りサマルカンドの重要なモスクとして機能してきました。

中は美しい金色の世界でした。別世界にやってきた感があります。ちなみに「ティラカリ」は「金で装飾された」という意味です。

ミフラーブ(礼拝をすることろ)です。

金色のカリグラフィーとムカルナスがとても煌びやかです。青色がベースとなっているのも好きです。

ドーム下も目が離せません。この装飾の細やかさはやばいですね。四角形の平面からスキンチ(四角形平面を円形に近づけるために四隅に置かれた部材)を用いて徐々に円形に移行していって、そこに円形ドームが造られているという構造です。ドーム自体にもムカルナスが装飾としてたくさん使われていました。中心を見ていると意識が別世界に行ってしまいそうです。

モスクがある建物の別部屋は小さい博物館となってました。以前マドラサで使われていたタイルの破片などを間近で見ることができます。


夜のレギスタン広場
レギスタン広場は夜ライトアップされ、昼間とはまた違った雰囲気を楽しめます。暗闇の中に3つのマドラサが浮かび上がっている様子は、まるで異世界の宮殿に来たようです。

今回サマルカンドを訪問したタイミングがバッチリで、コロナ明け初のライトアップイベントでした。大音量で音楽も流れ、レギスタン広場はクラブと化していましたね(笑)。


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