2023年10月のウズベキスタン旅行記です(料金などは2025年時点のものを分かる範囲で記載してます)。
世界遺産「ヒヴァのイチャン・カラ」を構成する資産である、イチャン・カラ城門と城壁を観てきました。保存状態も良く、ヒヴァの街を守ってきたという威厳を感じました。
この記事では世界遺産である4つの城門と城壁、また城壁の登り方を解説していきます。
世界遺産「ヒヴァのイチャン・カラ」の全体の解説はこちら。

イチャン・カラの4つの城門
世界遺産イチャン・カラは城壁に囲まれており、東西南北にそれぞれ城門があります。
4つの城門の名前は以下となります。
①西門「オタ・ダルヴァザ」(Ota Darvaza)
②南門「タシュ・ダルヴァザ」(Tosh Darvaza)
③東門「パルヴァン・ダルヴァザ」(Polvon Darvaza)
④北門「バグチャ・ダルヴァザ」(Bogcha Darvaza)
どの門からもヒヴァ旧市街(イチャン・カラ)の中に入ることができます。1つずつ写真入りで解説していきます。
西門「オタ・ダルヴァザ」
世界遺産イチャン・カラの西門です。門を出てすぐの所に共通入場チケット売り場があるので、多くの人が出入りする城門かと思います。
ヒヴァ=ハン国時代の1828年から1829年に建設された城門です。1920年の革命でヒヴァ=ハン国政権が打倒された際に完全に破壊され、現在のものは1974年から1978年にかけての記録資料に基づいて再建されたとのことです。

夜の西門です。ライトアップされて幻想的な雰囲気です。

南門「タシュ・ダルヴァザ」
世界遺産イチャン・カラの南門です。イチャン・カラ内の南側は観光施設が少ないので、訪れる人も少ないかなと思います。夜も真っ暗でした。
18世紀後半に建造された城門です。カラクム砂漠への行き来の際に使われていました。タシュは「堅い石」という意味で、その名の通りレンガ建築の剛健な門です。

城門内部はレンガのドームになってました。

東門「パルヴァン・ダルヴァザ」
世界遺産イチャン・カラの東門です。
1804年建造です。門の近くに奴隷市場があったため「奴隷の門」とも呼ばれていました。ヒヴァ=ハン国は中央アジア随一の奴隷市場の国として知られており、1873年ロシアの保護国になるまで3世紀に渡り奴隷売買は続きました。悲しい歴史を持つ城門です。
タイル装飾もあり、西門や南門に比べて華やかですね。この門が1番好きかもです。城門の内部は結構広く、お土産屋などが設置されてました。

美しい装飾の木造の扉です。

北門「バグチャ・ダルヴァザ」
世界遺産イチャン・カラの北門です。人の出入りは多めです。
創建は18世紀ですが、20世紀に入ってから何度か再建されています。2つの塔の上部がタイル装飾となってます。北門から城壁に登ることができます。

他の城門にもありましたが、ちゃんとユネスコ世界遺産マークが入ってますね。

城壁とその登り方
世界遺産イチャン・カラの城壁とその登り方を解説していきます。
城壁
城壁はレンガまたは土壁でできており、かなり保存状態が良いです。高さは7〜8mあります。何百年とヒヴァの街を守り続けてきました。

城門を観つつ城壁を一周してみました。ヒヴァは大きい街ではないので、あっという間に一周できます。

南門の近くの城壁です。城壁沿いに石棺のようなものがあります。

東門あたりだったと思いますが、ポコポコした部分もあります。倉庫ですかね?何に使われてたのでしょう?

登るには?
世界遺産イチャン・カラの城壁は登ることができます。こちらは別途料金が20000スム(240円くらい)が必要です。2025年も料金据え置きのようです。チケット売り場は北門から入ったあたりにあります。その後北門にある小さな扉を開けてもらい、そこから登ることができました。自分は行ってないので詳しくは分かりませんが、南門も登れるらしいです。

北門の屋上です。小さいドームが並んでいます。

見渡す限りの城壁です。途中で行き止まりになっているので、城壁一周はできませんでした。見晴らしが良いですが、街側には柵がないので落ちないように注意が必要です。

所々このような穴があります。銃眼ですかね。日本の城などでもよく見かけるやつです。

城壁はそれほど高くないですが、しっかりヒヴァの街が見渡せます。良い街並みですね。数百年前にトリップしたような感覚になります。

遠くに見える塔は、左からイスラム・ホジャ・ミナレット、ジュマ・ミナレット、カルタ・ミノルです。カルタ・ミノルは未完成ですが、もし完成してたら物凄い高さになっていたのだろうと思いました。
