2023年10月のウズベキスタン旅行記です(料金などは2025年時点のものを分かる範囲で記載してます)。
世界遺産「サマルカンド-文化交差路」を構成する施設「アフラシャブの丘」(Hill of Afrasiab)を訪れました。「アフラシヤブ州立考古学保護区」として保存されています。13世紀のモンゴル軍侵攻で破壊される以前の古代サマルカンドが存在した場所です。
合わせて「アフラシャブ博物館」も紹介します。特に1000年以上前のフレスコ画「アフラシャブ壁画」は必見です。
世界遺産「サマルカンド-文化交差路」についての解説は以下。

アフラシャブの丘とは?
アフラシャブの丘はサマルカンド中心から北に位置します。
アフラシャブの丘は、宮殿などの基礎部分の遺構は若干残っているようですが、基本的に見渡す限りの荒野です。東京ドーム約43個分という圧倒的な広さです。

アフラシヤブの丘は、BC1000年頃~13世紀までの古代サマルカンドが存在した場所です。現在のサマルカンドにおける最古の遺跡です。防衛上の理由から丘の上に建設されたようです。
この地に住んでいたソグド人(イラン系)はシルクロード交易の担い手であり、サマルカンドは重要なオアシス都市として発展していきました。
8世紀以降イスラム化し、数々のイスラム王朝に支配されてきましたが、13世紀のモンゴル軍の侵略により壊滅しました。
14世紀末ティムール朝建国者であるティムールにより、アフラシャブの丘の近くに現在のサマルカンドが再建されました。
19世紀以降アフラシャブの丘で考古学調査が行われ、アフラシャブ壁画をはじめとした様々な出土品が発見されました。
また、ウズベキスタンの高速鉄道アフラシャブ号の名前はこの地域に由来します。
アフラシャブの丘へのアクセス方法
アフラシャブの丘への主なアクセス方法は、ハズラティ・ヒズル・モスクの側道から向かう方法とアフラシャブ博物館の裏手から向かう方法があります。ハズラティ・ヒズル・モスクから向かうとなると徒歩のみになるかと思います。自分はバスで行きましたが、その場合はアフラシャブ博物館から徒歩10分ほどの場所のバス停に止まるので、そこから歩いて向かいました。


「Yandex Go」で配車タクシー使うのであれば、検索したところ中心から大体20000スム弱ですね。バスを使う場合は「Yandex Maps」で一発でルートが分かります。
「Yandex Go」と「Yandex Maps」に関しては以下の記事から。

バス停を降りて、博物館方向に向かいます。すでにアフラシャブの丘が見えてきてますね。

こんな標識もありました。レンガ造りでオシャレです。

少し歩くとキャラバンの像がありました。ラクダは持久力もありたくさんの荷物を運べるため、交易には欠かせない動物だったようです。


歩いて10分くらいで博物館に着きました。

博物館の裏手にアフラシャブの丘への入口があります。登ってみると目の前に荒野が広がっています。紀元前からここに都市があったと思うと不思議な感じがします。


アフラシャブ博物館
アフラシャブ地域に来たら、丘の探索より博物館がメインかもしれません。
入場料金は2023年10月時点で30000スム(350円くらい)でした。2025年現在調べたところ50000スムに値上がりしているようです。
アフラシャブ地域の全体像がよく分かる模型です。

アフラシャブの丘から出土されたソグド人の石棺です。棺にデザインが施されています。


ソグド人が信仰していたゾロアスター教の祭壇です。ゾロアスター教はイスラム教が入ってくる前に信仰されていた火を拝む宗教です。この祭壇で火を起こしていたんでしょうね。

博物館のメインの展示です。アフラシャブの丘の宮殿跡から発見された通称「アフラシャブ壁画」です。中国(当時は唐)が中央アジアに版図を拡大していた7世紀頃に描かれたフレスコ大壁画です。部屋一面に壁画が展示されており、当時の宮殿で飾られてたのと同じレイアウトとなっています。

結構剥がれ落ちていますが、東西南北以下のような壁画です(Wikipediaより)。ソグド人をはじめ、トルコ人、中国人、朝鮮人など様々な民族が描かれているとのことです。この絵からもサマルカンドは東西文明の交差点だったことが分かります。また、復元予想図もあるので照らし合わせながらみると楽しいです。

西壁のフレスコ画は、サマルカンドのソグド人王ヴァルフマンの元へ各地域の大使が訪問する絵となっています。ちなみにヴァルフマン王の絵は剥がれ落ちていて見れません。以下は近隣の都市からの大使の絵です。服のデザインがかなり凝ってます。

こちらはサマルカンドを訪問するトルコ人の高官たちです。

サマルカンドの通訳がチベットの使者とやり取りしている場面です。結構剥がれ落ちていて表情などは分かりません。一番右にいる頭から何か飛び出てる(羽の付いた帽子を被っているらしい)人は朝鮮人とのことです。当時朝鮮人がサマルカンドへ来てたことに驚きです。

南壁のフレスコ画は、ヴァルフマン王が前任者の王を偲んで率いてる葬列の様子です。青みがしっかり残っていて、とても美しい絵だったんだろうなと想像できます。人の表情も結構分かります。描かれてる鳥が可愛らしいです。


北側のフレスコ画は中国関連の絵です。唐の皇帝「太宗」の皇后が船に乗っている様子です。

太宗が狩りをする様子です。中国人の絵がこんなに大きく描かれていることからも、当時の唐の中央アジアへの支配力は大きかったんでしょうね。

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