2024年4~5月のポルトガル旅行記です(料金は2025年11月調べのものを記載してます)。
世界遺産の街エヴォラ(Évora)を訪問しました。エヴォラは、ポルトガル南東部アレンテージョ地方にある街で、首都リスボンから東に130kmほどの地点にあります。古代ローマ時代から栄えていた街で、16世紀に大学も設置された学芸都市でもあります。旧市街は「エヴォラ歴史地区」という名称で世界遺産に登録されています。
この記事では「エヴォラ歴史地区」はどういった世界遺産なのか、主な構成資産を紹介しつつ、観光の見どころなどを踏まえて解説していきます。
世界遺産「エヴォラ歴史地区」とは?
エヴォラ旧市街は、1986年に「エヴォラ歴史地区」として世界遺産に登録されました。
ローマ支配時代から栄えた街で、その後のイスラム支配時代、レコンキスタ時代、ポルトガル支配時代と2000年以上に渡り発展してきました。
1755年のリスボン大地震でも被害を受けなかったため、ポルトガルの黄金時代の街並みを今でも残しています。

「エヴォラ歴史地区」は以下の理由で世界遺産に登録されました。
- エヴォラ歴史地区の街並みは、ブラジルのサルヴァドール・デ・バイーア歴史地区などの植民地におけるポルトガル建築に影響を与えた(登録基準2)。
- エヴォラ歴史地区は、1755年の大地震でリスボンが破壊された後のポルトガル黄金時代の都市の最も素晴らしい例であること(登録基準4)。
| 登録名 | エヴォラ歴史地区 (Historic Centre of Évora) |
| 国 | ポルトガル |
| 登録区分 | 文化遺産 |
| 登録基準 | (2)、(4) |
| 登録年 | 1986年 |
城壁内の旧市街がまるごと世界遺産になっています。

エヴォラの歴史
エヴォラの歴史は、イベリア半島の先住民族であるルシタニア人が街を建設したことに始まります。
紀元前57年にはローマの支配下となりました。それ以降城壁が築かれ、交易路にある街として発展していきました。
4世紀以降ゲルマン人大移動が始まり、5世紀にはエヴォラを含めたイベリア半島はゲルマン人である西ゴート人の支配下となりました。この時代にキリスト教も浸透していきました。
8世紀になるとイスラム勢力がイベリア半島に介入し、715年にエヴォラはイスラム帝国「ウマイヤ朝」により支配されました。それ以降数々のイスラム王朝がエヴォラを支配してきましたが、レコンキスタ(キリスト教勢力による国土奪還運動)により、1165年ポルトガル初代国王アフォンソ1世の手に落ちました。
ポルトガル王国ブルゴーニュ王朝・アヴィス王朝時代は、国王はエヴォラに滞在することも多く、数々の邸宅や記念碑、宗教建築が設立されました。また、16世紀のルネサンスの中心の街ともなりました。1559年にはイエズス会によりエヴォラ大学が建設され、学園都市としても発展しました。
1584年、日本から伊東マンショらの天正遣欧少年使節が立ち寄りました。
1755年のリスボン大地震でリスボンは壊滅するも、エヴォラは被害を逃れました。
1759年、ポルトガル王国ブラガンサ朝時代の政治家ポンバル侯爵が、イエズス会をポルトガルから追放し、エヴォラ大学が閉鎖されると、エヴォラは徐々に衰退していきました。
1986年に「エヴォラ歴史地区」としてユネスコ世界遺産に登録されました。現在でもポルトガル黄金時代の街並みが残っており、様々な時代の、多種多様な建築様式の建造物を観ることができます。
主な構成資産
世界遺産「エヴォラ歴史地区」を構成する主な資産を紹介していきます。
①エヴォラ大聖堂(Évora Cathedral)
②ディアナ神殿(The Roman Temple of Évora)
③カダヴァル宮殿(Cadaval Palace)
④ロイオス教会(Church of the Lóios)
⑤エボラ大学(University of Évora)
⑥サン・フランシスコ教会(Church of St. Francis)
⑦マヌエル王宮(The Royal Palace of Évora)
⑧グラサ教会(Graça Church)
⑨サント・アンタオ教会(Santo Antão Church)
⑩アグア・デ・プラタ水道橋(Aqueduto da Água de Prata)
①エヴォラ大聖堂
エヴォラ観光をするほとんどの人がおそらく訪問するであろう「エヴォラ大聖堂」です。創建は1184年~1204年ですが、その後ゴシック様式で1280年頃から1340年頃までかけて拡張されました。時代が変わるごとに増築されていきました。
外観はリスボン大聖堂と似ており、どっしりとしたロマネスク様式の雰囲気があります。
14世紀のゴシック回廊と、大聖堂の屋上です。エヴォラ大聖堂は屋上に行けるのが見どころの1つです。エヴォラの街並みも見渡せます。鐘楼のタイル張りの円錐屋根が可愛らしいです。
エヴォラ大聖堂の入場料金と営業時間は以下となります(2025年11月調べ)。詳細は公式サイトにて。
- 料金:4ユーロ/5ユーロ(ミュージアムにも行く場合)
- 営業時間:9:00~17:00
②ディアナ神殿(ローマ神殿)
エヴォラ大聖堂すぐ近くにある「ディアナ神殿」です。ディアナはローマ神話の女神ですが、これは後世に付けられた名前で、正式名称は「ローマ神殿」です。紀元1世紀頃にローマ帝国初代皇帝アウグストゥスを祀るために建造されました。5世紀にゲルマン人により破壊され、中世は要塞として利用されていました。現在は修復され保存されています。コリント式の柱が14本残っています。
③カダヴァル公爵邸と④ロイオス教会
14世紀創建の「カダヴァル公爵邸」です。カダヴァル公爵家は、ポルトガル王国ブラガンサ朝の分家で、ポルトガルで最も強大な権力を持っていました。カダヴァル公爵邸には多くの部屋があり、彫刻、絵画、武器のコレクションが展示されています。
また、カダヴァル公爵邸のすぐ近くに付属の教会「ロイオス教会」があり、内部は見事なアズレージョで装飾されています。訪問時は残念ながら休みでした。
カダヴァル公爵邸の入場料金と営業時間は以下となります(2025年11月調べ)。詳細は公式サイトにて。
- 料金:8ユーロ(ロイオス教会込み)
- 営業時間:9:00~17:00(月曜休み)
⑤エボラ大学
「エボラ大学」は1559年に建設されました。イエズス会の神学校を起源としており、ポルトガルで2番目に古い大学です(一番古いのはコインブラ大学)。1779年にイエズス会追放とともに閉鎖されましたが、1973年に国立大学として再開しました。現在も大学として機能しています。
17~18世紀に建設された2階建ての巨大なルネサンス様式の回廊です。回廊には所々アズレージョが施されており、回廊に面して教室があります。訪問時は絶賛授業中でした。
16世紀建造のエヴォラ大学付属教会です。マニエリスム様式(後期ルネサンス)の教会です。
2025年11月現在の料金は不明でしたが、2024年4月時点ではエヴォラ大学の入場料金は3ユーロ、付属の教会は2.5ユーロでした。どちらもキャッシュのみだったかと思います。大学は時期によっては入れないかもしれません。詳細は大学の公式サイトにて。
⑥サン・フランシスコ教会
エヴォラ大聖堂に次ぐ人気観光スポットと思われる「サン・フランシスコ教会」です。15世紀末~16世紀初めにかけて建設されたゴシック様式の教会です。
サン・フランシスコ教会では何と言っても隣接する納骨堂が一番の見どころです。16世紀にフランシスコ会の修道士によって造られ、壁面が5000体もの人骨で埋め尽くされています。衝撃的な空間です。
教会は無料で入れます。納骨堂の入場料金と営業時間は以下となります(2025年11月調べ)。詳細は公式サイトにて。
- 料金:6ユーロ(ミュージアム込み)
- 営業時間:9:00~18:30
⑦マヌエル王宮
ポルトガル王の旧王宮である「マヌエル王宮」です。ゴシック様式とルネサンス様式が融合した建物です。元々修道院でしたが、14世紀末に宮殿に改造されました。1502年から1520年にかけてマヌエル1世により大規模な拡張がされ、イベリア半島最大級の宮殿の1つとなりましたが、その後の戦争や火災で大部分は焼失し、現在は一部のみ残っています。王宮の周囲は緑豊かな公園となっています。
公式サイトにアクセスできないため、現在の入場料金は不明です。
⑧グラサ教会
1511年に設立された修道院付属の教会です。美しいルネサンス様式の外観で、エヴォラで最も美しい建物の1つです。残念ながら訪問時は開いておらず中に入れませんでした。地方の教会あるあるですが、営業時間も決まってないみたいです。おそらく無料で入れると思います。
⑨サント・アンタオ教会
旧市街の中心のジラルド広場にある「サント・アンタオ教会」です。1557年~1563年にかけて建設されました。後期ルネサンス様式の教会です。入場料金は無料です。
城壁と⑩アグア・デ・プラタ水道橋
エヴォラ旧市街はローマ時代から続く城壁で囲まれた街ですが、現在の城壁の大部分は14世紀建造のものです。しっかり修復、保存がされています。エヴォラを囲む城壁を眺めながら街を散策するのも楽しいです。
こちらは「アグア・デ・プラタ水道橋」です。水道橋は元々ローマ時代からありましたが、1537年に完全に再建されました。街中ではアーチ部分に建物があったりと、水道橋と一体化している風景を楽しむことができます。



























