2023年4月のベトナム旅行記です。
世界遺産の街ホイアンの2日目は、チケットで入場できる物件をいくつか周りました。「来遠橋」、「福建会館」、「貿易陶磁器博物館」、「クアンタンの家」、「フーンフンの家」、全部で5つの施設へ足を運びました。
どれもホイアンの歴史を知る上で、非常に興味深い施設ばかりでした。
世界遺産ホイアンとは?
登録名 | 古都ホイアン |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2)、(5) |
登録年 | 1999年 |
ホイアン旧市街は「古都ホイアン」という名称で1999年に世界遺産に登録されました。ホイアンは、16世紀頃から海外貿易の拠点の港町として発展してきた歴史を持ちます。
レストランやカフェ、お土産屋さんなども古い建物をそのまま利用しており、旧市街にある全ての建物が歴史あるものです。そのため、街全体が世界遺産として登録されています。
古都ホイアンの世界遺産範囲は以下となります(ユネスコのサイトより)。紫色の部分が世界遺産のエリアで、青色の部分はバッファゾーンです。
ホイアンの歴史
ホイアンの起源は、ベトナム中部のヒンドゥー教国家「チャンパー」時代に遡ります。チャンパーの港町として栄えました。
1471年にベトナム北部の「黎朝」がチャンパーを打倒し、チャンパーが後退すると、16世紀には、中部から南部にかけて黎朝へ対抗する独立政権「広南国」(阮朝の前身)が建国されました。ホイアンは広南国の外港として栄えました。ホイアンの名前が出てくるのはこの時代です。
16世紀後半以降、ホイアンは中国、日本、ポルトガル、オランダなどとの貿易により港町として大いに発展しました。中国人街や日本人街がこの頃作られました。当時日本人街には何百人もの日本人が住んでいたらしいです。
日本との貿易は「朱印船貿易」と呼ばれ、豊臣秀吉や徳川家康らが発行した朱印状を持った日本の商人達が、東南アジアとの交易を盛んに行なっていました。しかし続いたのは30年程度で、徳川幕府の鎖国政策により、日本人の東南アジアへの渡航は禁止され、ホイアンの日本人街は衰退していきました。
17世紀後半には、中国王朝「清」が遷界令(清に対抗する鄭氏を台湾で孤立させる)を出し、中国人の渡航を禁止しました。このようなこともあり、ホイアンの交易は次第に衰退していきました。
1770年代になると、西山党の乱により街は完全に破壊されました。
その後再建され、19世紀に入り、阮朝(グエン朝)成立後も港町として栄えましたが、以前から土砂が堆積してホイアンを通るトゥボン川が浅くなる問題があり、次第に大型船の往来が難しくなったため、1835年阮朝2代ミンマン帝の命令で、国際貿易の拠点がホイアンからダナンに移されました。
20世紀になり、インドシナ戦争やベトナム戦争などありましたが、街は破壊されず、当時のまま残っています。
入場料
ホイアン旧市街は無料で入ることができますが、中には入場するのにチケットが必要な物件があります。
街に入る手前で、入場券5枚綴りのチケットを購入しました。これで5つの物件に入ることができます。チケット売り場は街中にもいくつかあるようです。料金は12万ドンでした(2023年4月時点)。2日間有効のようです。
ちなみにチケットが必要な物件は15件近くあります。チケットは入場券5枚綴りなので、全部行くためにはチケットを3回買う必要があります。
来遠橋(日本橋)
ホイアン観光の代表格「来遠橋」です。2万ドン札に描かれています。
日本人が設計に関わったとされており、別名「日本橋」と呼ばれています。創建は1593年。幅3m、長さ18mの屋根付きの石橋です。
中は木造で、屋根裏は剥き出しの構造です。日本の寺社に似てますよね。ちなみに渡るだけならチケットは必要ありません。
面白いことに、来遠橋の中には寺院があります。ここからはチケットが必要なエリアです。
小さな堂がありました。
来遠橋は当時あった日本人街と中国人街を繋いでいたと言われています。来遠橋が完成した後、日本は鎖国体制に入ったため、日本人街は衰退していきました。
来遠橋は現在工事中なので、外から全体を見ることはできませんでした。
と思いきや、柵の上からなんとか1枚撮れました。夜のライトアップが綺麗でした。
中は木造ですが、橋を支える部分は石造りです。日本橋と言われてますが、屋根付きの石橋は日本では見かけませんよね。日本人が関わった当初は、元々木造の橋だったのでしょうか?
福建会館
昔からある華僑の集会所「福建会館」です。
華僑とは海外へ移住した中国人のことです。ホイアンにも当時たくさんの中国人がやってきましたが、福建会館は中国福建省出身の華僑にまつわる場所となっています。
福建会館の入口です。
立派な門です。とても鮮やかです。真ん中は通れず、左右が出入口となっていました。
本堂に到着。福建会館は元々寺院として造られ、後に集会所となりました。
船の模型が展示されてました。はるばる福建省からホイアンにやってきた中国人の船ですね。
内部はかなり豪華な作りです。航海安全の守り神である「天后聖母」が祀られています。
奥に行くと、17世紀にホイアンにやってきた福建省出身の6家族のそれぞれの家長の像が祀られています。
貿易陶磁器博物館
「貿易陶磁器博物館」です。
民家がそのまま博物館に使用されています。
小さめの博物館です。発掘された陶磁器や沈没船から見つかった遺物など、100点近く展示されています。
当時ホイアンから世界のあらゆる所に陶磁器が輸出されていました。綺麗に残っている陶磁器も結構あります。
長崎でも陶磁器が発見されたという記録です。交易があった証拠ですね。
こんな中庭の空間もありました。当時の家は基本的に中庭付きとのことです。
当時の台所の展示です。生活を表現しています。
2階にも上がれます。
2階のテラスからはホイアンの街が見下ろせます。街歩きでは見れなかった景観です。
クアンタンの家
福建省の商人が建てた「クアンタンの家」です。
ホイアン旧市街で最も古く、300年前の建物です。木造の平屋で、中がとても美しい造りです。入口は狭いですが、中はかなり広い構造です。
先祖の方を祀っています。その子孫の方がチケットのもぎ取りをしてました。代々ずっと続いてるよ、との説明を受けました。
インテリアも美しいです。
所々にある窓や扉の彫刻が素晴らしいです。
小さめの中庭も良い空間でした。
フーンフンの家
貿易商人が暮らしていた「フーンフンの家」です。
200年前に建てられた木造建築です。現在も子孫の方が管理しています。中に入ると目に入るのは立派な木の椅子です。彫刻がかなり細かいです。
他の家と同様、奥行きが広いです。当時かなりのお金持ちだったと思われます。
2階へも行けます。
2階には祭壇があり、陶磁器などが置いてありました。写真はありませんが、福建会館でも見た天后聖母も祀られていました。
2階のテラスの屋根部分。かなりカーブしてますね。変わった造りだなと。
屋根を支える組み物的な部分には鯉の透かし彫りがありました。商売繁盛の意味を持っているとのことです。
テラスからの眺め良かったです。すぐ近くには来遠橋も見えますね。
まとめ
世界遺産ホイアンの歴史散策のまとめです。
- チケットが必要な物件は15件ほど
- 博物館や当時の家など歴史的価値の高い施設ばかり
- チケット1枚につき5件行けるので沢山行くためにはチケットの再購入が必要
- 2階建物の場合は、テラスからホイアンの街並みを違った角度から楽しめる
- チケット購入した方がホイアンを満喫することができる(街歩きだけじゃもったいない)
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