ベトナムのざっくりした歴史と世界遺産の紹介です。
ベトナムはインドシナ半島の東側の細長い国ですが、歴史的には北部、中部、南部に分けることができます。長い間それぞれの地域に独立した国家がありました。
ざっくり説明すれば以下のようです。
3つの地域は人種的にも異なり、それらが一つの国家になるのはかなり遅いです。統一王朝が成立したのは、18世紀後半〜19世紀頃(西山朝や阮朝)です。しかしフランスの支配を受ける時代でもありました。
第二次世界対戦後は、南北に分かれ、列強国の影響を受けました(インドシナ戦争、ベトナム戦争)。
列強国との戦争に勝ち続け、1976年に統一国家の「ベトナム社会主義共和国」が成立し、現在に至ります。
ベトナム史年表
ざっくり年表です。歴史は年表にしてみると分かりやすいです。
北部の歴史(ベトナム人王朝)
前5世紀頃から青銅器文化の「ドンソン文化」が栄えました。中国と国境を接しており、秦や漢、唐など歴代中国王朝の支配が続きました。
10世紀頃ベトナム独自の王朝が成立し、これにより1000年以上に渡る中国の支配が終わりました(ベトナムでは「北属期」と呼ばれる)。
しかし、中国の各王朝はベトナム歴代王朝に対する宗主権を維持し、時に直接支配を及ぼすこともありました。そのため、北部は中国の文化の影響(儒教や仏教など)を強く受けてる地域です。寺院など見るとそれがよく分かります。
16世紀以降、当時の王朝「黎朝」に内乱が勃発し、延臣である阮氏により、中南部には独立政権の「広南国」が成立しました。長きに渡るベトナム南北戦争へ展開していきます。
前5C頃 ドンソン文化(青銅器文化)が栄える。 |
前214年 始皇帝が遠征。中国王朝「秦」による支配。南海郡・桂林郡・象郡が置かれ、郡県制支配を受ける。 秦滅亡後、南海郡の知事が「南越」建国。 |
前111年 武帝が遠征。中国王朝「漢」による支配。 ベトナム中部まで支配圏が及ぶ。 漢滅亡後も歴代中国王朝の支配は続く。 |
10C頃 中国王朝「唐」滅亡後、ベトナム独自の王朝「呉朝」「丁朝」「黎朝(前黎朝)」が次々に成立するが、短命に終わる。 |
1009年 ベトナム人による安定政権「李朝」が成立。これ以降北部の王朝は「大越国」と呼ばれる。 首都をハノイ(タンロン)とする。 中国王朝を宗主国としたので、完全な独立ではない。 |
1225年 「陳朝」成立。 中国王朝「元」のフビライによる遠征。 ベトナム文字「字喃」(チュノム)が作られる。 |
1400年 「胡朝」成立。 明の永楽帝による遠征。短命に終わる。 |
1428年 明を破り、「黎朝(後黎朝)」成立。 中部の「チャンパー」を滅ぼし、中南部へ勢力圏を伸ばす。 |
16〜18C頃 黎朝の内乱時代。 黎氏VS莫氏(マック)→莫氏が政権握る。 鄭氏(チン)VS阮氏(グエン)→阮氏が中南部に独立政権「広南国」を建国。長期に渡るベトナム南北戦争へ。 |
中部の歴史(チャンパー)
ベトナム人とは異なるオーストロネシア系のチャム人が住んでいた地域です。中国の漢王朝の支配を受けていましたが、その後自立し、2世紀末頃「チャンパー」が成立しました。
北部のベトナム王朝や南部のクメール王朝とも争い、最終的に北部のベトナム人の王朝「黎朝」により1471年に滅亡しました。
現在ホイアン郊外にある世界遺産「ミーソン聖域」は、チャンパーのヒンドゥー教寺院の遺跡です。
16世紀以降、北部の「黎朝」に内乱が勃発し、阮氏により、中南部には独立政権の「広南国」が成立しました。ベトナム南北戦争に展開していきます。
前2C頃 中国王朝「漢」による郡県制支配。 |
2C末 オーストロネシア系のチャム人が独立し、「チャンパー」建国。港湾国家として栄える。 |
3C頃 インド化し、ヒンドゥー教国家となる。 |
7C〜 北のベトナム王朝、南の「クメール王朝」との争いが続く。 |
10C頃 チャンパーの占城稲(チャンパ米)が中国王朝の「宋」に導入され、二期作が可能になり、宋の飢饉を救う。 |
13C頃 中国王朝「元」のフビライ・ハンの進出があったが、撃退に成功。 |
1471年 北部のベトナム王朝「黎朝」により滅亡。 |
16〜18C頃 黎朝の内乱。 中南部に阮氏による独立政権「広南国」が成立。 北部の鄭氏(チン)と南部の阮氏による長期に渡るベトナム南北戦争へ。 |
南部の歴史(扶南/クメール王朝)
歴史的にはベトナムとカンボジアにまたがる国家が成立していた地域です。紀元前1世紀頃に「扶南」が成立し、7世紀以降は「クメール王朝」が支配していました。どちらもインドの文化を強く受けており、ヒンドゥー教国家です(クメール王朝は途中から仏教も取り入れる)。
15世紀になると、クメール王朝はタイのアユタヤ朝の侵攻により衰退していき、南部にベトナム人が進出していきました。
16世紀以降、北部の黎朝に内乱が勃発し、阮氏により、中南部には独立政権の広南国が成立しました。ベトナム南北戦争に展開していきます。
前1C末 港湾国家の「扶南」成立。 ベトナム南部からカンボジアにかけて支配。 インドや中国との交易により栄える。 |
4〜5C頃 扶南はインド化し、ヒンドゥー教国家となる。 |
7C頃 カンボジアのヒンドゥー教国家「クメール王朝」により滅亡。 南部は長きに渡るクメール王朝の支配へ。 中部の「チャンパー」と争いが続く。 |
14〜15C頃 タイの「アユタヤ朝」の侵攻を受け、クメール王朝は衰退。 |
16〜17C頃 北部の王朝「黎朝」の内乱。 阮氏が中南部にかけて、独立政権の「広南国」を建国。 北部の鄭氏(チン)と南部の阮氏による長期に渡るベトナム南北戦争へ。 |
ベトナム統一とフランスの支配
200年近くに渡るベトナム南北戦争でしたが、1778年に「西山朝(タイソン)」が成立し、ベトナムを初めて統一しました。
1802年には「阮朝」が成立し、フエを首都として、長期に渡るベトナム統一王朝の道を歩んで行きました。
阮朝は中国王朝の「清」を宗主国とするベトナム王朝でしたが、フランスの進出が激しく、最終的には、1887年にフランス領インドシナ連邦として、カンボジアやラオスとともに保護国化されました。
20世紀になると、ファン・ボイ・チャウやホー・チ・ミンにより、反仏運動が展開されましたが、成功はしませんでした。
1940年、第二次世界大戦でフランスはドイツに敗れ、ベトナムから撤退しましたが、代わって日本が支配することになりました。
1945年第二次世界大戦が終わり、日本が撤退すると、ホー・チ・ミンにより社会主義国家「ベトナム民主共和国」が建国されました。
1771年 西山(タイソン)の乱 西山阮氏による反乱。 |
1787年 西山阮氏により独立政権「西山朝」が成立。 中南部の「広南国」、北部の「黎朝」を滅ぼし、ベトナムを統一。 |
1802年 広南国の生き残りである阮福暎が、フランス人宣教師ピニョーの力を借りて西山朝を滅ぼし、「阮(グエン)朝」を建国。 首都をフエに置き、国号を南越国とする。 中国王朝「清」を宗主国とする。 |
1858年 阮朝がキリスト教禁止、宣教師を処刑したことを受けて、フランスのナポレオン3世がインドシナ出兵。フランスとベトナムの戦争へ。 |
1862年 サイゴン条約 ベトナム南部がフランスの直轄領となる。 |
1883/84 第1次・第2次フエ条約 フランスによるベトナムの保護国化が決定。 その後、清仏戦争が勃発。フランスが中国王朝の清に勝利し、清はベトナムの宗主権を手放す。 |
1887年 ベトナムはカンボジア・ラオスとともに、フランス領インドシナ連邦に編入される。 |
1904年 ファン・ボイ・チャウが維新会を結成(後にベトナム光復会)し、反仏運動を展開。 また、フランスに対抗できる人材育成のために、ベトナム人を日本に留学させた(ドンズー運動)が、失敗に終わる。 |
1930年 ホー・チ・ミンがベトナム共産党を結成し、反仏運動を展開。 |
1940年 第二次世界大戦にてフランスはドイツに敗れ、ベトナム撤退。 その後日本が進出し、ベトナム全土を支配する。 |
1945年 八月革命 第二次世界大戦にて日本が敗れ、ホー・チ・ミンが「ベトナム民主共和国」を建国、独立を宣言。これにて阮朝の滅亡。 |
南北分裂時代(インドシナ戦争/ベトナム戦争)
ようやくベトナムが独立するかと思いきや、なんとフランスがベトナムに再進出し、インドシナ戦争が勃発しました。さらにフランスは、南部に傀儡政権「ベトナム国」を建国しました。
インドシナ戦争に勝利したベトナム民主共和国でしたが、その後社会主義を嫌うアメリカの介入があり、南部にアメリカの傀儡政権「ベトナム共和国」が成立しました。
そして1965年、ベトナム戦争が勃発しました。
ベトナム戦争に勝利した北部は、1976年に統一国家「ベトナム社会主義共和国」を建国しました。
1946~54年 インドシナ戦争 フランスがベトナムに再進出。フランスは阮朝最後の皇帝バオ=ダイを擁立し、南部にフランスの傀儡政権「ベトナム国」を建国。 北部の「ベトナム民主共和国」VS南部の「ベトナム国」の構図→北部の勝利。フランスの撤退。 |
1955年 社会主義の拡大を防ぐため、アメリカが介入。南部にアメリカの傀儡政権「ベトナム共和国」を建国。 北部の「ベトナム民主共和国」VS南部の「ベトナム共和国」の構図。 |
1965~75 ベトナム戦争 トンキン湾事件(アメリカの自作自演)を契機に、アメリカが北爆を開始し、本格的に軍事介入。 北部が支援する南ベトナム解放戦線の粘り強い抵抗により、最終的にベトナム共和国の首都サイゴン(現在のホーチミン)が陥落し、ベトナムの勝利で終わる。 |
1976年 統一国家「ベトナム社会主義共和国」が成立。首都をハノイとする。 |
現在のベトナム
「ベトナム社会主義共和国」成立後も、カンボジア侵攻(vsポルポト政権)や中越戦争(vs中国)など戦争状態は続き、国民は貧困化していきました。
さらに、社会主義政策により生産の停止や経済の停滞が進みました。
そんな中、1986年に市場経済を導入したことがうまくいき、経済成長を遂げて現在に至ります。
世界遺産
- フエの建造物群 – (1993年)
- 古都ホイアン – (1999年)
- ミーソン聖域 – (1999年)
- ハノイのタンロン皇城の中心区域 – (2010年)
- 胡朝の城塞 – (2011年)
- ハロン湾 – (1994年、2000年)
- フォンニャ=ケバン国立公園 – (2003年、2015年拡大)
- チャンアンの景観関連遺産 – (2014年)
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