ベトナム

【世界遺産】ハノイ 「タンロン城遺跡」 800年に渡るベトナム歴代王朝の都城跡

タンロン城遺跡ベトナム

2023年4月のベトナム旅行記です。

ハノイにある世界遺産タンロン城遺跡へ行きました。歴代ベトナム王朝の都城跡です。ベトナムの歴史を知る上で欠かせない遺産の1つですね。現在も発掘が続いてる遺跡でもあります。

世界遺産タンロン城遺跡とは?

登録名ハノイのタンロン王城遺跡中心地区
登録区分文化遺産
登録基準(2)、(3)、(4)
登録年2010年

タンロン(昇竜)とはハノイの旧称です。タンロン城は1010年〜1789年の約800年間、ベトナム歴代王朝の都城でした。

2002年に発掘され、2010年に「ハノイのタンロン王城遺跡中心地区」として世界文化遺産に登録されました。この世界遺産の特徴は、各時代の王朝の遺跡が積み重なって、地中に埋もれてることです。現在も発掘が続いており、歴史的・文化的に非常に貴重な史跡です。

以下が世界遺産の登録範囲となります(ユネスコのサイトより)。橙の部分が遺産、黄色部分がバッファゾーンです。

タンロン城遺跡

タンロン城の歴史

1009年に李太祖が大越国「李朝」を建国し、1010年に都をホアルーからハノイ(タンロン)に移しました。タンロン城は紅河デルタの埋立地に建てられました。タンロン城の歴史のはじまりです。

その後、1225年に起こった「陳朝」も引き続きハノイを都としましたが、1400年に起こった「胡朝」により一時的にタンホイアに遷都されました。

1428年に黎利(レ・ロイ)がひらいた「黎朝」では再びハノイが都とされました。

1789年に黎朝は滅亡し、初のベトナム統一国家の「西山(タイソン)朝」と、阮福映による越南国「阮(グエン)朝」では首都は中部のフエに移りました。阮朝時代ではタンロン城は北の軍事拠点となり、城塞に改造されました。

2003年にタンロン城遺跡が発掘され、今も調査が続いています。

分かりにくいエントランス

タンロン城遺跡はハノイの街中にあるので、アクセスはしやすいですが、エントランスが結構分かりにくいです。以下の地図あたりから入れます。タンロン城遺跡は広範囲なので、例えば間違って正北門へ行ってしまうとそこではチケットを買えないので入ることができず、エントランスまで結構な距離を移動しなくてはならないので注意です。

エントランスの目印。

タンロン城遺跡

ここから入って、チケットを購入できます。

タンロン城遺跡

近くにかなり立派な世界遺産マークを発見!

タンロン城遺跡

料金・営業時間・全体マップ

タンロン城遺跡の料金は、3万ドンです(2023年4月時点)。200円しないくらいなので、めちゃ安いです。

営業時間は8:00〜17:00。月曜休みみたいなので、訪問する曜日は気をつけましょう。

タンロン城遺跡はかなり広範囲です。歩いて回ることになるので、特に暑い時期は水分補給や休憩をしっかり取った方が良いですね。以下が全体マップです。

タンロン城遺跡
  1. チケットセンター
  2. 端門
  3. 展示室
  4. T1地下壕
  5. 敬天殿
  6. D67地下壕
  7. 後楼
  8. ホアンジエウ18番遺跡
  9. 正北門
  10. 国旗掲揚塔

8と9は、一度大通りに出てから向かう感じになります。

端門(ドアン門)

まず最初に見えるのは正門である「端門」です。タンロン城遺跡の1番の見どころかもしれません。

タンロン城遺跡

黄色の楼閣が目立ちますが、これは復元です。見どころは、その下の石で敷き詰められた門です。15世紀の王朝「黎朝」時代の遺構です。真ん中の大き目の門は、皇帝のみ通ることが許された門とのことです。

タンロン城遺跡
タンロン城遺跡

全部で5つ門があり、観光客は左右の門から入場できます。中に入ると発掘された遺構を見ることができます。

タンロン城遺跡

800年以上に渡る歴代王朝の遺構が地中に埋もれているとのことです。なかなかイメージが湧きません。

タンロン城遺跡

階段で上に登ることもできます。

タンロン城遺跡

中は特に何もないですね。

タンロン城遺跡

楼閣から眺める景色です。曇りですね。遠くにフラッグタワーが見えます。これも世界遺産に含まれてます。阮朝初代皇帝のザーロン帝(阮福映)により城の監視塔として1812年に建てられました。ちなみにこのフラッグタワーはベトナム軍事歴史博物館の一画に建っています。

タンロン城遺跡

反対方向を見ると、こちらも発掘現場です。

タンロン城遺跡

敬天殿(キンティエン殿)

端門を過ぎて少し進んでいくと、広い空間へ。立派な鐘楼や鼓楼があります。

タンロン城遺跡
タンロン城遺跡

次の見どころは「敬天殿」です。かつて皇帝の宮殿があった場所です。建物は近年の復元ですが、手前にある龍の手すりの石階段は当時のもので、かなり貴重です。この部分は入れないようになってますね。中国の影響を感じますね。

タンロン城遺跡

復元された宮殿内は入っていませんが、発掘された土器などが展示されてるとのことです。

戦争時の地下壕

ベトナム歴代王朝の遺構ではありませんが、敷地内にはフランス統治時代やベトナム戦争時に使われていた司令室や地下室があります。

2箇所あり、端門裏の建物の西側のT-1地下壕と、敬天殿の裏にあるD-65地下壕があります。

T-1地下壕の地下への階段です。約10m。

タンロン城遺跡

当時使われていたものが展示されています。何か生々しさを感じます。

タンロン城遺跡

これは空気清浄機ですかね。おそらく毒ガス対策かと思います。

タンロン城遺跡

電話機も展示されています。これらを使って命令を出したりしていたのでしょうか…。

タンロン城遺跡
タンロン城遺跡

会議室もあります。

タンロン城遺跡

こちらはD-67地下壕。写真が残念ながら全然撮ってなかった…(泣)。地下の会議室のみでした。ホーチミンさんの写真が飾られていました。ここでインドシナ戦争やベトナム戦争の指揮をとったのでしょうね。

タンロン城遺跡

後楼

地下壕を後にして、緑豊かなゾーンへ。草木で表現された世界遺産マークを発見!これは他にないですねー。気付けてよかったです。

タンロン城遺跡

先に進むと、「後楼」が見えてきます。皇帝に仕えた側近が利用していた建物です。敬天殿の楼閣として建てられました。現在あるものは復元です。

タンロン城遺跡

登ることもできますね。

ホアンジエウ18番遺跡

一旦敷地内から出て、道を挟んだ向かい側にある「ホアンジエウ18番遺跡」へ。こちらにもどデカい世界遺産マークが。

タンロン城遺跡

結構広いです。

タンロン城遺跡

2002年の国会議事堂移転工事の際に発見された遺跡で、今もなお発掘が続いています。遺跡のメインは、1010年〜の李朝、1225年〜の陳朝とのことですが、8世紀〜の遺構も発掘されてるとのことで、歴史的に物凄い価値がある場所だと思います。

エントランスでタンロン城遺跡の入場チケットを見せれば入れます。先へ進むと、石やレンガ造りの基壇が見えます。時代によってレンガの積み方が違っており、それが層になっている、ということらしいです。

タンロン城遺跡

中へ入ると、まさに発掘現場という感じです。水路の跡とか建物の基壇とかたくさん見れます。歴代王朝の建物は木造だったので、さすがにそれは残ってないですね。

タンロン城遺跡
タンロン城遺跡

この井戸は8〜9世紀頃から使われていたものです。

タンロン城遺跡
タンロン城遺跡

色んなところに井戸があります。こういう遺跡では当時の人の生活とか想像してみると楽しいですね。

タンロン城遺跡

立派な看板の所を通ると反対側に行けるので、そのままUターンできます。

タンロン城遺跡

この遺跡では、他にもベトナム中部を支配していたチャム人の文字が書かれたレンガや、中国の陶磁器、日本の有田焼や伊万里焼などの陶磁器も発見されています。ベトナム王朝が他文化と交流していたことが分かる、歴史に欠かせない場所ですね。

正北門(バック門)

ホアンジエウ18番遺跡を後にして、北へ。「正北門」で締めくくりです。ベトナム統一王朝である阮(グエン)朝時代の建物です。その頃になると首都はフエに移り、タンロン城は北の軍事拠点として城塞化しました。正北門は、1805年に阮朝の初代皇帝ザーロン帝(阮福映)により建造されました。

タンロン城遺跡
タンロン城遺跡

後楼の真北にありますが、一旦外に出てから、北へ回り込まないと行くことができません。

かなり見応えがあるレンガ造りの門です。門に向かって左側には、1882年にフランス軍から放たれた砲弾跡が生々しく残っています。この翌年結ばれたフエ条約により、阮朝はフランスの保護国になりました。

タンロン城遺跡

上に登ることもできます。この建物の中には、フランス軍と戦った英雄が祀られていました。

タンロン城遺跡

まとめ

タンロン城遺跡のまとめです。

  • ハノイ中心地になるのでアクセスは良いが、エントランスが分かりにくい
  • 地味な遺産かと思いきや非常に歴史的価値が高い
  • 建物を見るというより、遺跡を見る感じ
  • じっくり見たら多分半日かかる
  • ベトナム戦争で使われてた施設を見れる
  • 古代中世のベトナム王朝の遺跡と現代のベトナムの歴史が同居している
  • スルーされがちだが、正北門は見事でかなりおすすめ

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