ウズベキスタン

【世界遺産】「サマルカンド-文化交差路」人気の観光地を徹底解説!

世界遺産サマルカンドウズベキスタン

2001年にユネスコの世界文化遺産に登録された「サマルカンド-文化交差路」。サマルカンドはウズベキスタン観光の中でも特に人気の街で、イスラムの名建築や美しい街並みを楽しむことができます。

この記事では、サマルカンドはどういう世界遺産なのか、またサマルカンドの歴史や世界遺産を構成する建物などを紹介していきます。

世界遺産「サマルカンド-文化交差路」とは?

サマルカンドの「サマル」は「人々が出会う」、「カンド」は「街」という意味です。人々が行き交うシルクロードのオアシス都市の1つとして、紀元前からの歴史を持つ街です。

世界遺産名「サマルカンド-文化交差路」の「文化交差路」という言葉は、東西文明が交ざり合った歴史に由来しています。

世界遺産サマルカンド
アフラシャブの丘。サマルカンドがかつて存在した場所。見渡す限りの荒野。

13世紀にモンゴルの侵攻により街は破壊されるも、14世紀末にティムール朝の創始者ティムールにより再建され、大いに繁栄しました。

世界遺産を構成するイスラム建築の多くはティムール朝時代のもので、「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる青いタイルで装飾された美しい建築をたくさん見ることができます。その美しさから、ティムール朝時代のサマルカンドは「青の都」とも呼ばれていました。

世界遺産サマルカンド
レギスタン広場。3つのマドラサが計画的に建てられたサマルカンド観光の目玉。
世界遺産サマルカンド
シャーヒ・ズィンダ廟群。サマルカンド・ブルーの代名詞。美しい青のタイルが見事。
世界遺産サマルカンド
夜のグーリ・アミール廟。ライトアップされて宮殿のよう。

サマルカンドは、以下が評価され世界文化遺産に登録されました。

シルクロードの歴史的な都市であり、東西文明の交差点として重要な役割を果たしたこと

ティムール朝時代のイスラム建築が多数残っており、その建築と街並みが美しいこと。

登録名サマルカンド‐文化交差路
(Samarkand – Crossroad of Cultures)
登録区分文化遺産
登録基準(1)、(2)、(4)
登録年2001年

世界遺産「サマルカンド-文化交差路」の範囲は以下です(ユネスコのサイトより)。赤部分がメインとなる世界遺産、黄色部分がバッファゾーン(緩衝地帯)です。

世界遺産サマルカンド

世界遺産「サマルカンド-文化交差路」は5つの地区で構成されています。それそれの地区名をクリックすると、詳しい内容に飛べます。

アフラシャブ遺跡エリア
ティムール朝の建築エリア(観光のメインとなるエリア)
ウルグ・ベク天文台エリア
アブディダルンとイシュラトハナ遺跡エリア
ナマズゴー・モスクエリア(注:実際は上記の図より大分北にあります)

サマルカンドの歴史

サマルカンドは世界で最も古い都市の1つであり、2000年近くの歴史があります。東西文明が交ざり合う場所のため、何世紀にも渡り様々な国や民族により支配され続けてきました。

紀元前10世紀頃からソグド人(イラン系)のオアシス都市として発展しました。

紀元前329年のアレクサンドロス大王の東方遠征以降、バクトリア、突厥、唐など様々な国の支配の元、ソグド人は自由に交易することができたため、サマルカンドはシルクロードの重要な都市として商業活動の中心地として栄えました。

世界遺産サマルカンド
姉妹都市である奈良市のホームページより引用

712年にはイスラム帝国のウマイヤ朝のアラブ連合軍に征服され、イスラム化が始まりました。その後、アッバース朝(アラブ系)、サーマーン朝(イラン系)、カラ・ハン朝(トルコ系)、セルジューク朝(トルコ系)、西遼(契丹族)、ホラズム・シャー朝(トルコ系)といったあらゆる民族系統のイスラム王朝が、何百年にも渡りこの地を支配しましたが、サマルカンドは引き続き交易の中心都市として重要視されました。

1220年にチンギス・ハン率いるモンゴル軍により壊滅的な被害を受け廃墟となりましたが、1370年ティムール朝(トルコ=モンゴル系)の創始者ティムールにより、サマルカンドは新たな首都として再建されました。多くのモスクやマドラサが建設され、商業や学芸の中心地として黄金時代を迎えました。サマルカンドで現在見られる多くのイスラム建築物はこの時代のものです。

ティムール朝
「世界の歴史まっぷ」より引用。ティムール朝の最大領土。

1507年ティムール朝滅亡後は、ウズベク人(トルコ=モンゴル系)であるブハラ=ハン国に属することになりました。

18世紀以降ロシアの南下政策が活発となり、1868年にはサマルカンドはロシア軍に攻略・割譲され、ブハラ=ハン国は事実上ロシアの保護国となりました。

1924年ウズベク・ソビエト社会主義共和国(ソ連を構成する国)の首都となりました。

1991年にソ連解体後、ウズベキスタン共和国が独立しました。2001年サマルカンドは世界遺産に登録され、歴史・文化都市として注目されています。

主な構成資産

世界遺産「サマルカンド-文化交差路」の5つの地区から構成されています。以下ではそれぞれの地区に主にどういった構成資産(建物など)があるかを簡単に解説していきます。

アフラシャブ遺跡エリア

アフラシャブ遺跡エリアは「アフラシャブの丘」(Hill of Afrasiab)とも呼ばれ、古代のサマルカンドがかつてあった場所です。13世紀のモンゴル侵攻により街は破壊され、14世紀末にティムールにより、かつての街のすぐそばに再建されました。

アフラシャブの丘は、200ヘクタール(東京ドーム約43個分!)もある荒野です。特に特筆すべきものはないかと思いますが、このエリアにある「アフラシャブ博物館」では丘での出土品などが展示されており、特に7世紀の様子が描かれた中国人のフレスコ壁画など、歴史的に非常に貴重なものを見ることができます。

ティムール朝の建築エリア

サマルカンド観光と言えばこのエリアですね。14世紀末に再建されたサマルカンドの中心地です。ティムール朝時代の名建築がたくさん集まっています。

主な構成資産は以下となります。特に「レギスタン広場」「シャーヒ・ズィンダ廟群」は人気があります。サマルカンドで必ず訪問したい施設です。

①レギスタン広場(Registan Square)
②ビビハニム・モスク(Bibi Khanym Mosque)
③シャーヒ・ズィンダ廟群(Shah-i-Zinda Mausoleums)
④ハズラティヒズル・モスク(Hazrat Khizr Mosque)
⑤グーリ・アミール廟(Gūr-e Amir Mausoleum)
⑥アクサライ廟(Aksaray mausoleum)

ウルグ・ベク天文台エリア

このエリアの主な構成資産は、「ウルグ・ベク天文台」(Ulugh Beg Observatory)です。ティムール朝4代目君主のウルグ・ベクにより、1420年代に建てられたイスラム世界でも有数の天文台です。

ウルグ・ベクは非常に優秀な天文学者でもあり、自らも積極的に観測を行っていたようですが、彼の死後、天文台は反対派により破壊されました。

1908年に天文台の地下部分が発見され、地上部分の建物は一部再建されています。

アブディダルンとイシュラトハナ遺跡エリア

このエリアでの主な構成資産は、「ホジャ・アブディダルン廟」「イシュラトハナ廟」です。

以下のように道を挟んで建っています。「イシュラトハナ廟」はサマルカンドの建築の中でも異彩を放っているので、時間があれば訪れて欲しい施設です。

①ホジャ・アブディダルン廟(Khodzha Abdu-Darun Mausoleum)
②イシュラトハナ廟(Ishratxona Mausoleum)

ナマズゴー・モスクエリア

このエリアの主な構成資産は「ナマズゴー・モスク」(Namazgoh Mosque)です。中心部から少し離れた場所にあるので、あまり訪問する人はいないと思いますが、17世紀に建造された歴史あるモスクです。

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