マレーシア

マレーシアの歴史と世界遺産

マレーシアのざっくりの歴史と世界遺産の紹介です。

マレーシアはマレー半島とボルネオ島北部からなる国家です。マレー、中国、インド、ヨーロッパの文化的影響が混ざり合った多民族・多宗教国家ですが、イスラム教を国教としています。

マラッカ海峡がアジアの海上交易の主要ルートであったため、近世以降はポルトガル、オランダ、イギリスという列強による支配を受け続けた歴史を持ちます。

マレーシア史年表

マレーシア史の年表です。シンガポールとインドネシアもざっくり載せてあります。

シュリーヴィジャヤ王国の成立

1世紀頃航海術が発達し、マレー半島ではアジアの海上交易が活発化しました。

4世紀以降インド化し、ヒンドゥー教が広まりました。

7世紀頃、スマトラ島とマレー半島を支配するマレー人国家「シュリーヴィジャヤ王国」が成立し、仏教が広まりました。

14世紀頃、ジャワ島東部に成立したヒンドゥー教国家「マジャパヒト王国」の勢力が拡大すると、シュリーヴィジャヤ王国は衰退していきました。

「世界史の窓」より
1C頃
マレー半島にて海上交易が活発化。
4〜5C頃
インド化。ヒンドゥー教が広まる。
670年頃
「シュリーヴィジャヤ王国」成立。
マレー人の仏教国家で、スマトラ島とマレー半島を支配。
14C頃
ヒンドゥー教国家「マジャパヒト王国」の台頭により、シュリーヴィジャヤ王国は衰退。

マラッカ王国の成立

14世紀末、マジャパヒト王国の内戦に巻き込まれたシュリーヴィジャヤ王国の王子パラメスワラが、従者を伴ってマレー半島に逃れ、マレー半島とスマトラ島に跨る「マラッカ王国」を建国しました。

中国王朝の「明」に朝貢し、マラッカは東南アジア最大の貿易拠点として繁栄しました。

交易が活発になるとイスラム商人との交渉も活発化し、イスラム教が急速に広まりました。1414年ごろ国王ムラト・イスカンダル・シャーがイスラム教に改修し、イスラム教国家となりました。

「世界史の窓」より
14世紀末
シュリーヴィジャヤ王国の王子パラメスワラがマレー半島に逃れ、「マラッカ王国」建国。
1405年
中国王朝「明」に朝貢し、明の永楽帝よりマラッカ国王に封じられる。
明の鄭和の大艦隊がマラッカに寄港。
1414年
国王ムラト・イスカンダル・シャーによりイスラム化する。

ポルトガル、オランダによる支配

1511年ポルトガルの海外進出により、マラッカは武力で制圧されました。列強による東南アジアの植民地化の始まりです。マラッカ王国の王はマレー半島先端に逃れ、後継国家「ジョホール王国」を建国しました(現在もマレーシアのジョホール州として存在)。

1641年にはオランダが進出して、ポルトガルに代わりマラッカを支配しました。

1511年
ポルトガルのインド総督アルブケルケがマラッカ王国を武力制圧。
マラッカ王は南のジョホールへ逃れ、マラッカの後継国家「ジョホール王国」を建国。
1542年
マラッカからポルトガルの鉄砲が日本に伝来。
1549年
イエズス会のフランシスコ・ザビエルがマラッカを出発し日本へ。
1641年
オランダのマラッカ進出。ポルトガルに代わって支配。

イギリスによる支配(イギリス領マラヤ)

1824年のイギリス=オランダ協定により、マレー半島はイギリス、スマトラ島はオランダが支配することになりました。イギリスはペナン、マラッカ、シンガポールを直轄地として、周辺のマレー小国家を保護国化していきました。

シンガポールが東南アジア最大の港として発展する反面、中国の華僑資本家、多くの中国人労働者やインド人労働者がマレー半島に流入しました。

マレーシア イギリス領
「世界の歴史まっぷ」より
1824年 英蘭協定
イギリスがマレー半島を支配することが決まる。
1826年
マレー半島のペナン、マラッカ、シンガポールがイギリスの海峡植民地となる。後に直轄地となる。
1888年
北ボルネオ(サラワク王国)がイギリスの保護国となる。
1895年
マレー人の小国4カ国(ペラ、セランゴール、ネグリセンビラン、パハン)を保護国化し、マレー連合州とする。
それ以外のマレー半島の地域は非連合州と呼ばれるが、事実上イギリスの支配下となる。

日本の進出

東南アジア方面に進出していた日本は、1941年太平洋戦争勃発と同時にマレー半島に侵攻しました。翌年シンガポールを攻略し、イギリス領のマレー半島と北ボルネオは日本の軍政下に入ることとなりました。

1945年太平洋戦争終結後、イギリスの支配が復活しました。

1941年
日本がマレー半島に上陸。侵攻開始。太平洋戦争勃発。
1942年
日本がマレー半島全域と北ボルネオを占領。
1945年
太平洋戦争終結。マレー半島と北ボルネオが再びイギリス領となる。

マレーシアの成立

1948年マレー半島にてシンガポール以外の植民地連合体「マラヤ連邦」が成立しました。その後1957年にイギリスから独立しました。マレー人、中国人、インド人からなる国家です。

1963年マラヤ連邦にイギリス領のシンガポールと北ボルネオが加わり、「マレーシア」が成立しました。

1965年中国系住民の多いシンガポールは、マレーシアから追放される形で分離独立しました。

1948年
マレー半島のシンガポール以外の植民地が集まり「マラヤ連邦」となる。
1957年
マラヤ連合がイギリスから独立。
1963年
イギリス領のシンガポールと北ボルネオがマラヤ連邦と合流し「マレーシア」が成立。
1965年
シンガポールがマレーシアより分離。

マレーシアの世界遺産

マレーシアの世界遺産は文化遺産はマレー半島、自然遺産はボルネオ島にあります。

文化遺産

自然遺産

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