ハンガリーのざっくりした歴史とハンガリーの世界遺産の紹介です。
ハンガリーは、1000年頃ハンガリー王国として建国され、一時は東ヨーロッパの大国となりましたが、16世紀以降はオスマン帝国やオーストリアなどの周辺国に長く支配され続けた、という歴史を持ちます。
戦後は東ヨーロッパの国々と同様、ソ連の影響により社会主義国となり、1989年に民主化して現在に至ります。
ローマ帝国支配時代
もともとローマ帝国の属州として支配されていました。ローマ帝国衰退後、様々な民族が侵入してきました。
1世紀頃 ローマ帝国が属州パンノニアとして支配。 |
4世紀頃〜 ローマ帝国衰退後、ゲルマン人流入。その後もフン族、アヴァール人など様々な遊牧民が侵入。 |
マジャール人が定着
様々な民族が代わる代わる侵入してきた結果、最終的にマジャール人(ハンガリー人)が定着しました。
9世紀頃 マジャール人が侵入。 |
955年 レヒフェルトの戦い。 東フランク王国(現在のドイツ)のオットー1世が侵入してきたマジャール人を撃退。マジャール人がパンノニア平原(現在のハンガリー)に定住。 |
ハンガリー王国成立へ
パンノニア平原に定着したマジャール人は、キリスト教(カトリック)を受け入れ、ハンガリー王国を建国しました。
975年 ヴェイク公がカトリック洗礼を受け、イシュトヴァーンの名前を得る。 |
996年 イシュトヴァーンの父ゲーザ公が、パンノンハルマ大修道院を創設。 |
1000年 イシュトヴァーンがエステルゴムに大司教座を開く。ローマ教皇より王冠を授けられ、イシュトヴァーン1世となる。ハンガリー王国成立へ。 |
1102年 クロアチア人を併合し、東ヨーロッパの大国へ。 |
モンゴル来襲/オスマン帝国侵入
モンゴル軍やオスマン帝国が侵入し、大敗しましたが、滅亡は逃れました。
1241年 ムヒの戦い。 バトゥ率いるモンゴル軍来襲。当時の国王ベーラ4世は一旦ハンガリーを逃れる。バトゥは翌年引き上げ、ベーラ4世はハンガリーへ帰還。 その後ハンガリーの防備を固める。ブダ城を石造りで再建など。 |
1396年 ニコポリスの戦い。 オスマン帝国が来襲し、ハンガリー大敗。 |
1402年 オスマン帝国撤退(アンカラの戦いでティムール朝に敗れたため)。 |
ハンガリー王国全盛期へ
マーチャーシュ1世の治代。中央集権化を進め、隣のオーストリア(ハプスブルク家)やオスマン帝国に対抗しました。文化も発展して全盛期となりました。
1458年 マーチャーシュ1世即位。オスマン帝国やオーストリアハプスブルク家に対抗。中央集権化。文芸保護し、ルネサンス開花。 |
1485年 ウィーン占領。 |
1490年 マーチャーシュ1世急死。ポーランド王国ヤゲウォ朝の国王を迎える。 |
オスマン帝国とオーストリアによる分割
オスマン帝国再び来襲。その後オーストリアとオスマン帝国によるハンガリーを巡る戦いにシフトしました。最終的にハンガリーは分割されました。
1526年 モハーチの戦い。 オスマン帝国のスレイマン1世に敗れ、ヤゲウォ朝断絶。オーストリアハプスブルク家フェルディナント1世が王位継承を主張し、オスマン帝国vsハプスブルク家の構造 |
1529年 ウィーン包囲。 |
1547年 オスマン帝国とオーストリアの休戦協定より、ハンガリーが3分割される。 ・北部/北西部/クロアチア→オーストリア領(形式的にはハンガリー王国) ・中南部(ブダペスト含む)→オスマン帝国領 ・東部→オスマン帝国を宗主国とする東ハンガリー王国(後のトランシルヴァニア侯国) |
オーストリア=ハンガリー帝国
オスマン帝国の撤退後、オーストリアによる支配が確立しました。その後オーストリア=ハンガリー帝国という二重帝国となりました(実質はオーストリア支配)。
1683年 オスマン帝国の第二次ウィーン包囲。 オスマン帝国はオーストリアに敗れる。 |
1697年 ゼンタの戦い。 オーストリアがオスマン帝国に圧勝。 |
1699年 カルロヴィッツ条約。 オーストリアはオスマン帝国からハンガリー全域を奪回。ハンガリーはオーストリア領へ。 |
1741年 オーストリアハプスブルク家のマリア・テレジアがハンガリー王となる。 |
1848年 ハンガリー民族運動。 コシュートが指導。オーストリアが鎮圧。 |
1866年 普墺戦争。 プロイセンにオーストラリア敗れる。ハンガリー王国の形式的な独立が認められる。オーストリア=ハンガリー帝国となる(実質はオーストリア支配のまま)。 |
独立へ
2つの世界大戦によりハンガリーは敗北するも、独立を獲得しました。
1918年 オーストラリア=ハンガリー帝国、第一次大戦で敗北。ハンガリー共和国として独立。その後ハンガリー王国となる(1919年)。 |
1920年 トリアノン条約。 第一次大戦連合国軍とハンガリーの講和条約。国土の2/3が失われる(だいたい現在のハンガリーの国土領域となる)。 |
1940年 第二次世界大戦へ参戦。ハンガリー軍はドイツ軍の一部として動員される。ソ連軍がドイツ軍を排除 |
社会主義化
世界大戦後は、ソ連の影響を受け、社会主義国となりました。
1946年 ハンガリー共和国成立。後にハンガリー人民共和国となる(1949)。ソ連の影響を強く受け社会主義化。 |
1956年 ハンガリー動乱。 スターリン批判を機に反ソ暴動。 |
1960年代 市場社会主義路線へ(経済停滞からの脱却)。 |
民主化へ
民主化し、現在に至ります。
1989年 社会主義崩壊により民主化。ハンガリー共和国となる。 |
2012年 国名がハンガリーとなる。 |
ハンガリーの世界遺産
- ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り – (1987年、2002年拡大)
- ホッローケーの古い集落とその周辺 – (1987年)
- パンノンハルマの千年の歴史をもつベネディクト会大修道院とその自然環境 – (1996年)
- ホルトバージ国立公園 – プスタ – (1999年)
- ペーチ(ソピアナエ)の初期キリスト教墓所 – (2000年)
- フェルテー湖・ノイジードラーゼー湖の文化的景観 – (2001年、オーストリアと共同)
- トカイのワイン産地の歴史的・文化的景観 – (2002年)
- アグテレク・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群 – (1995年、2000年追加、スロバキアと共同)
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